:)★活動186日目 ついに空き巣に入られたお話
Mulibwanji?
皆さんどうもこんにちは、青年海外協力隊員としてザンビアの小さな村で過ごしています、ゆきちです。
かなーーーーーーーーりお久しぶりになってしまいました。
(Instagramは毎日更新中! @yukichi_zambia)
更新を楽しみに待っていてくださった方、本当にすみません!!!!ちょくちょくもらえるメッセージ、嬉しかったです。
たくさん綴りたいこと、お伝えしたいことはあるのですが、、今後同じような人が増えて欲しくないので、リアルな感情のまま書けるうちに、Blogに残したいと思います。
久しぶりの投稿で残念なお話申し訳ないですが、、
昨夜...
村の任地のお家、盗難に入られました。
めっちゃショック。。( ˙-˙ )
途上国あるあるだと分かっていたことなのに、めっちゃショック。。( ˙-˙ )
今まで1度もバックパッカー中でさえも盗難あったことなかったのに、めっちゃショック。。( ˙-˙ )
🌼今日のおはなし🌼
1.盗られたものは..?
●iPhone6 (日本から持ってきてみたもののSIM入らず使ってない)
●HUAWEI P9lite (JICA規定が変わって使えなくなったので予備用化してた)
●中国製 BLUETOOTHスピーカー(日本から持ってきたSONYスピーカーがSkype授業のとき小さすぎて買い直し)
●PUMA黒スニーカー(むっちゃ汚いのに。笑)
●20クワチャ札とコイン数枚(コインケース中身)
確認したところ、こんな感じでした。。
幸いにも、普段あまり使ってないものばかりでした。
全てのデータを持っているパソコンは不在中一緒にお供していたので盗られておらずよかった!!!!!
一眼レフやアクションカメラも漁られた形跡はあるのですが、なぜかそれらは盗られておらず、、盗られても困らないものでよかった。
ちなみに、ワークパーミット(労働許可証)は持ち歩いており、パスポートと日本から余分に持ってきていた米ドルはJICAオフィスで預かって頂いていたので、証明書関係は無事。よかった。。。
2.盗難の状況は?
盗難が入ったのは、おそらく9月29~30日にかけての夜。
私が不在の際、お家の裏ドアがぶっ壊されて入られてました( ˙-˙ )
ちなみに私の村は、首都ルサカから1時間ほど離れた小さな村です。北部に続く大きな道の、道端で降りて何も無いブッシュを突き進むと学校のためにあるような村があります。
私の家はその村の中にあるので、もちろん学校敷地内です。塀とかないけど、まずここにいる人たちほぼ全員知り合い、ほぼ全員先生か先生の家族なんです。
ただ、近辺にはやっぱり英語も喋れない土壁で出来たようなお家に住んでる人や、難民で逃げてきたコンゴやルワンダなど他国籍の人もたくさんいます。
でも基本距離が近過ぎて、お互いのこと把握できます。もし他の地域の人が歩いてれば、『あの人誰かな?』って思います。
さて、空き巣が入ったとき、私はその時どこにいたかと言うと、新隊員の2017年度2次隊の子たちがザンビアに到着するってことで、隊員ドミトリーの委員会をしていることもあり、火曜日から土曜日まで任地を不在にしてました。
そして、本日土曜日の朝、任地に帰ろうかしてたとき、校長先生から電話があり、すごく焦った様子で話してきました、が、英語が速すぎていつも以上によくわからず、
『Bedroom』
『Damaged』
『Door』
だけしか単語聞き取れず、、(涙)
「あー。今、安全対策で修理する予定になってる部分の話をしてるんかな?」
と思い、「今日午後村に戻るのでその時教えて下さい!」と電話で言い電話を切りました。
そして村に帰っていつもの調子で皆に声掛けると、皆の様子が明らかにおかしくって、真面目な表情で、、
実はお家に飼い猫ちゃんいるんですが外にいて、どーゆーことかわからず家の中に入ると、、
部屋んなか、ぐっちゃぐちゃ(⊙⊙)!!!
引き出しも飛びたしたまま、
段ボールに入れてたものも出たまま、
机の上にもの散らばったまま、、
今まで旅行中でさえも盗難とかあったことなくって、びっくり。。。
そのあと、校長先生が来て、村の警察の人が来て家の中を簡単に(ものすごく簡単に☜)見て写真を撮り、帰って行きました。。
私はJICAに報告をし、村にいるのは危険ということで、首都に戻ってきました..( ˙-˙ )
3.盗難の要因は?
今回盗難に入られてしまった大きな理由は、
グリルドアの閉め忘れ
でした。( ˙-˙ )
青年海外協力隊の隊員はJICAからお家の安全対策規定がいくつも与えられます。
その中に『グリルドア』というものがあるんですが、普通のドアにプラスで檻みたいなものがついてるんですよね。
その檻は南京錠で施錠することができます。
このJICA規定外ドアにはもちろん、寝室にもグリルドアは必須なんです。
今回私は、2箇所のグリルドアを閉めずに出掛けました。。
1箇所は、裏口扉のグリルドア。
ここは、元々木の扉自体に問題があって使ってませんでした。しかもずっと使ってなさすぎてグリルドア自体もレバーが固まっていました。
しかし、安全対策上問題がありまくりだった我が家。配属先がお金がなくなかなか動いてくれず、JICAにも相談していましたがやっと動いたのが9月頭。10月に修繕工事をしましょうって時でした。
修理の見積もりを取りにザンビア人の業者の人が来たときに、グリルドアに修理が必要か確かめたところ、グリルドアは油を注いですべるようにして、あとは穴の部分を開けたら動くことが判明しました。
だからと言って、問題なのは裏口ドアだと思っていたので、グリルドアに南京錠がないことも、危険だということも一切頭にありませんでした。。
ここで本当は南京錠をつけるべきでした。
2箇所目は、寝室のグリルドア。
これは完全に私のやっちゃいけなかったミスです。
いつも、寝る時と、長期出る時は寝室のグリルドアを施錠しています。
しかし、今回、寝室の扉がぶっ壊れていて閉まらなかったのですがグリルドアは閉まるにも関わらず、『あー、今回寝室は施錠できんなー。』ってなぜか思ってしまい、そのまま出掛けてしまいました。。
もし、この寝室のグリルドアを閉めていれば、盗まれたものたちは靴以外全て寝室にあったので盗られなかったかもしれません。。
4.今後の動き
今、私は盗難の次の日ということでJICAの判断もあり、首都ルサカの隊員ドミトリーに移動しています。
月曜日にJICAの安全対策担当の方と、JICAのザンビア人セキュリティオフィサーの2人と共に任地に行き、様子の確認があるようです。
ただ、ドアはすぐにはよくならないので、一時私は一番最寄り(徒歩40分)のロッジに滞在か、ルサカから1時間半かけて通勤なのかなー?きついなあ。。。
その後、今回のレポートなど書類関係を提出し、あと私は任意保険(訓練所で紹介されたJICA推奨のもの)に入ってきたので、盗まれた全額を申請しようかと思ってます。申請通るといいなあ。。。
5.ザンビア人の反応
そして気になるザンビア人の反応ですが・・簡単に言うと、
激怒、そして神に祈りなさい。
と言った感じ。笑
私が落ち込んでる様子を見て、
「Yuki、落ち込まないで。村の人たちはいつでもあなたの味方。すぐに犯人を見つけて叩くから!!!!!!悪い事したこどものように!!」
って。(*_*)
え、叩くからってそんなもん?笑
真面目な顔して言ってきました。笑
しかも警察官も。笑
そして、キリスト教文化。
「今から裏の教会に行って、神に祈ってきなさい。」
って。(*_*)
もう夕方なっちゃってたから、その提案は断って即ルサカに上がりました。笑
さすが、キリスト教。
でも、村の人も、まさか自分の村で空き巣なんてことがあるなんてと、ビックリしていた様子でした。そして、仕切りに、
『こんなことはないから、別の任地に異動しなくていいのよ。あなたがこの村を好きなのであれば、あなたはここにいるべきよ。私たちが守るから。』
と、言ってくれました。嬉しいな。。
ただ、こんな状況でも普通にファッション褒めてくるあたりが、あーザンビア人やなあって。( ˙-˙ )笑
6.今回感じていること
今、2つ大きな気持ちを感じています。
1つは、盗られたものが命や宝物じゃなくてよかったということ。
その盗難があったとき、もしも家にいて、もしも犯人と遭遇してしまってたら、どうなってただろう。
そう考えると、本当にモノでよかったって思えました。
さらにはモノはモノでも、大切な人たちからもらったお手紙やアルバム、プレゼントなどじゃなくてよかった。
もし、それが盗られてたら、私もう立ち直れる気がしなかったなあ。
ただ、2つ目に感じたことは、自分の心が悲しみを感じていること。
何に悲しいかって、この出来事を通して今自分が、ザンビア人、村の人、今まで大好きだった人に対して疑いの目で見てしまっていること。
私のせいやのにね。
今回起きたことは、本当にもう仕方がないし、命あるだけいい。
だけど、なんか、村の人と自分が『共存できてる』って思っちゃってて、でも結局はよそ者だからこそこんなことに狙われちゃったんだと思います。
今回のことザンビア人がすべて悪いわけではない。
私だって今回任地をずっと離れたこと。
工事に必要だからと実際に工事してくれる人をお部屋に入れちゃってたこと。
もっと早めにJICAに安全対策の対処をしてもらえばよかったこと。
そもそも施錠しなかったこと。
私にたくさんマイナス点はあるんですが、この小さな村で、この活動している村で、この大好きな村で、誰かが私が悲しんだり、困ったりすることを分かって、それでもしてきたことが、悲しくて、、
私が心からこの任地のことを好きだって思えていないことが、何よりも悲しいです。
特に私は学校の敷地内で暮らしているので、学校の先生たちに囲まれて暮らしていて、まさか学校の先生たちはそんなことしないと思うけど、『あの先生私のいない時期知ってるから怪しいなー』とか、『あの人工事の見積もり取りに来た時に私の動きも家の状況もわかってるから怪しいなー』とか、疑っても全く意味無いのは分かってても、どうしても思っちゃう自分がいます。
だから、今、首都ルサカにいれていること、正直安心しています。
今日のお昼村に帰ってきてあの部屋が荒れた状況を目の当たりにして、警察を待ってる時本当に不安になりました。
でも、その時に忙しいであろうときに私なんかの電話を聞いて元気づけてくれた人たち、LINE送ったら笑いに変えてくれた同期たち、そのあとすぐにルサカに上がってきてたまたま信頼できる隊員もルサカにいたり、色んな人たちに囲まれて、今回の出来事も笑い話に出来ました。本当にありがとね。
だから、同じ過ちになって欲しくないからとblogに綴ろうと思いましたが、、やっぱり正直な気持ち、今、村に戻ること、正直なところ、、少し憂鬱になっちゃってます。
実は、来年から私の要請対象がいなくなるという事実が7月に発覚し、一時期来年の活動どうするか迷走していました。(私の配属先の初等学校での要請は、9年生への情報処理の授業支援なんですが、初等学校は7年生までになることが決まり、情報処理をがっつり学ぶ学年がいなくなります。)
JICAからは、任地変更の案も頂きました。
しかし、私はこの村、この学校が大好きでした。ザンビアという国のことを教えてくれて、幸せな気持ちにしてくれたり、考えさせられるとき、この村のおかげなのです。
やけんこそ、校長先生と話したり、色んな隊員に相談したりして、私のアイディアも生かせそうな方法見つかって、せっかく、今後の活動の方向性定まって、『よし、これから楽しみ増えたっ♡♡』って活動を新たに楽しもうとしてた時だったので、ショックがでかい。
これから数日間でどんな気持ちになるかわかりませんが、これを見ている協力隊員の方や、海外で活動されてる方、本当によく注意して同じようなことが起きて欲しくないなって思います。
盗まれたモノへの感情より、盗まれた出来事や環境に想像以上に感情が持っていかれてしまいます。
ただ、私は何があっても2年間、この青年海外協力隊という活動を無事終えて帰るつもりでいます。
2年間もあれば幸せなことばかりではないし、こんなことにあうのも途上国ならでは。
だから、ザンビアのことを大嫌いとは思わないし、思って欲しくもないし、これからもっと向き合っていきたいとは思ってます。それは十分分かって、覚悟してザンビアまでやってきました。
ただ、経験してみて、他の隊員の皆さんや途上国に住んでいる皆さん、、2年間の中で100%味わわなくてもいい感情なので、本当に他の皆さんには注意して欲しいと思って書きました。
まさか私に起こるなんて...って感じやからですね。(*_*)
実は、以前、先輩のFacebookをさかのぼってみていたときにスーパーで盗難にあった事例を見て、スーパー行った時には注意するようになったこともあって、今回私の場合自分の過失でこんなことになったことは恥でしかないですが、「自分も気をつけよう(><)」ってちょっとでも意識する人がいればいいなと思ってます。
いつの間にかザンビアに来て6ヶ月経ちました。
明日から10月。7ヶ月目開始です。残り18ヶ月。慣れてきた頃が1番油断しちゃう時期なので、気を引き締めて活動再開していかないとな~~~~。
(もちろんblogもね!!笑)
そうそう、以前書いた死についての記事(:)★活動91日目 昨日、裏の人が、自殺した。 - 笑ってなんぼinザンビア)同様、これを見たからといってザンビアを嫌いにならないでくださいね。(´・_・`)それは悲しいです。笑
私は、ザンビアでの生活のリアルなままを伝えていきたいし、これはザンビアに限ったことじゃないですしね。公にしてないだけで結構被害はどこの国でもあってると思う。もちろん、日本も含めてね。
それでもムオンバを、ザンビアを、そして世界をもっともっと知っていきたいのです。
だいすきなんだよなー。
こんなこと書いてますが、ぜひザンビア遊びに来てくださいね、いいとこなんだから!☜説得力のなさ
( 本当はめっちゃ楽しい話やほっこりする話用意してたのに、泥棒のクソやろーー!!( `-´ )💢 )
10月はHAPPYになりますように!!!!
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:)★ここが変だよザンビア人!~本当にあったアフリカ英語(Zamglish)話~
Machoma buwanji!こんばんは!
青年海外協力隊としてザンビアに住んで活動しています、ゆきちです!
ザンビアに来て3ヶ月、最近、躊躇なくにわとり🐔持てるようになりました。
☝仲良いおばちゃんが爆笑しながら撮ってくれたけど超絶逆光。笑
慣れってすごいですね、赴任当初はにわとりを、がっすがっす捌いてる姿みたり、にわとりがミニバス乗ってたりしたら驚いていたのに、なにも驚かなくなってきています。
いつか私もこのまま連れて帰ってさばけるようになるのかな。
こんな風にblogでシリーズ化しようと思うくらい、ザンビアに来て驚くことがたくさんあります。「ザンビアで驚いたこと!」を綴っていきます、名付けて
「ここが変だよザンビア人!」
(どっかの番組のパクリやんとか言わないで♡)
そして今日のおはなしは
「本当にあったZamglish話」
について!(またパクりやんとか言わないで♡)
このblogのタイトルバナーをよくご覧になった方や、見出し文を読んでくれた方や、プロフィール記事を読んでくれている方がいればご存じの通り、私、英語できません!!!!
ここにもあるように、TOEIC330点以上が応募資格最低条件である協力隊に365点で協力隊に合格しました。爆
ザンビアに来る前に派遣前訓練で語学授業がみっちりあるのですが、そこで珍回答MVPになったくらいの、英語のできなさです。
よく英語できる人って「あの人の英語綺麗」「あの国の英語訛りがすごいよね~」とか聞くんですが、基本フィリピン人とばかりなんとなく英語で話してた身としては、
訛りも何も感じません。
(とにかく、私の英語が下手くそすぎて、それどころではない。笑)
それでも、訓練所でちょっぴり成長して、ちょっと自信をつけザンビアにやってきましたが・・
「アフリカ訛りってこれかあああああ!」
と、こんな私でも気付くアフリカ英語・・というかザンビア英語が本当にあったのです!!
今日は私でも気付いたザンビア英語(?)を紹介しちゃいます!
🌼今日のおはなし🌼
※私が知らないだけで一般的な英語の常識だからとか言うことあればすみません、教えてください。笑
①語尾を勝手に「i」に変える (andの発音は、あんでぃ~。)
「Andyって誰!!!!!!!?」
と最初の方何度も思ったくらい分からなかった発音!!
ザンビア人、なぜか、語尾を「i」に変えちゃうんです!
例えば、
「and」日本人:アンド/ザンビア人:アンディ
「but」日本人:バット/ザンビア人:バッティ
「dog」日本人:ドッグ/ザンビア人:ドッギ
みたいな感じで、ザンビア人には私たちに見えない「i」が見えるのです。☜
これ、実はニャンジャ語の訛りが関係しているのかもしれませんが、数ある現地語のうちの一つ「ニャンジャ語」(マラウイのチェワ語と同じです)は、「i」で終わることが多いです。
例えば、私たちの国「Japan(ジャパン)」はニャンジャだと【Japani(ジャパニ)】です。笑
日本語「私は日本から来ました。」
英語「I am from Japan.」
ニャンジャ語【Nichoka ku Japani.】
こんな感じ。笑
そしてこの法則は人の名前にも有効なのです。
例えば、ニャンジャ語を一緒に勉強していた同期にニックネームがじゅんと呼ばれる人とマックスと呼ばれる人がいました。英語表記で「Jun」書くのに対しニャンジャでは【Juni】になります。英語表記で「Max」と書くのに対しニャンジャでは【Makisi】と書きます。そしてそれを読むときも【ジュニ】と【マキシ】。
もはや違うひと!!!!!!
私は【Yuki】なので、そのままでした・・。ちょっとつまんない☜
ちなみに情報処理の授業用語でいえば、
ドラッグ&ドロップ:ドラッギ アンディ ドロピ
シフト:シフティ
スペース:スペーシ
コロン:コロニ
いや、わからんがな!!!!!笑
ということで、慣れるまではこの語尾「i」の発音になった単語は、なんなのかよくわかっていませんでしたし、逆に私の指示も生徒たちにはわかってもらえませんでした。
ちなみにこの動画は授業の時の。
この先生はザンビア大学出身というのもあり、いろんな国の英語を知っているので、あんまりひどくはないですが・・それでもやっぱり、少し語尾が「i」に聞こえませんか?
②「girl」の発音は、ゲール。
私の隣の家には「Ema」という1歳の女の子が住んでいます。
私は日本のくせで彼女を「Emaちゃん」と呼んでいます。すると、それを聞いたお姉ちゃんが、「~ちゃん」ってどういう意味?と聞いてきたので、
「It means "ガール(girl)".」(女の子という意味だよ!)
とざっくり説明しました。
すると、お姉ちゃん「はあ??」という表情。
と思ったら、通りがかりのおばちゃんに、
「ゆきがうちの娘をDog(犬)と呼ぶ!!」
と、ちょっと不服そうな表情で言っていました。
「違う違う!ドッグじゃないよ、ガールだよ!」
というと、おばちゃん爆笑!!!!
「Yuki!Girlはガールじゃなくて、ゲールよ!ガールはニャンジャ語でDogよ!爆笑」
なななななんだって・・・!
そういやと帰ってニャンジャ語ノートを見返すと
【galu】:犬🐕
と確かに書いてる~~~~~~!!!
やけん、いくらガールとかグァールとか言いなおしても、不服そうやったんか・・。
ザンビアでは、はっきりとゲールと言います。
ちなみに最近、授業でうるさいときに使う言葉、
「Listen!Boys and Girls!」
りっすん、
ぼーいず あんでぃ げーるず!!!
(意味:みんな、聞け!!!!!!)
③女性呼び名は、Madamマダム。
「Thank you Madam.」「Welcome Madam.」
このくらいなら、フィリピンでもよくお店の人に言われてました。でも、お客さん相手とかよいしょよいしょする呼び方なのかと思ってましたが、ザンビアでは女性を呼ぶとき日本の英語教育で最初にあれだけ教えられた「Ms.(ミス)」や「Mrs.(ミセス)」を使わず「Madam.マダム」と呼びます。
マダムって!!!気品ありすぎやん!!爆笑
最初、本当慣れなかったのですが、今では普通に名前が分からなければマダム。名前が分かる人には「マダム 〇〇」と呼びます。
ちなみに、私は毎日こう呼ばれます、
「マダム ユキ。」
爆笑。
もし、生徒が私のことをついつい「Yuki!」と呼び捨てで呼ぶと、他の先生や先輩から「Madam Yukiでしょ!!」とつねられます!!!!(*_*)
ちなみに、こっちの人はよく苗字で呼びます。特に職場。
なので、同じよび名の人がたくさんいます。
私が配属先のBonifece Kasheta校長先生のことを 「Mr.Boniface」と初日呼んでいたら、マダムたちに「あなた校長先生とどういう関係なのよ~!」と笑われました。(*_*)
校長のことは、「Mr.Kasheta」と呼ぶし、奥さんのことは「Madam.Kasheta」と呼びます。
今まで外国の人と言えば名前呼びだったのに、なんか変な感じ~
④挨拶のはじめは、「How are you?」
これは訛りというか習慣ですが・・ザンビア人、挨拶のはじめは「おはよう」や「こんにちは」はあまり使わず、
まず第一声「お元気ですか?」です。
そのため、よく子どもたちからも日本語を教えて言われたとき、まず最初に聞かれるのが、
「How are you?って日本語でなんていうの!?」
と言われます。
日本じゃ初対面のひとにいきなり「元気ですかー!?」とか聞かないですよね、アン〇ニオ猪木じゃあるまいし。
でもこっちのひと、すれ違えば、まず「How are you?」。
こっちが「Good morning!」と声をかけても、英語をあまり知らない村の人は「I'm fine」と。
子どもに至っては、「〇×*?*! ?」と言われけど聞き取れず、私が「What!?」と聞き変えすと、子どもも私の聞き取れてないけど定型文として「I'm fine」と返してきます。笑
ニャンジャ語レッスンでも、基本「Mulibuwanji?(元気ですか?)」「Bwino!(元気です!)」を一番最初に教えられます。
なので、うちの学校の子たちは、よく「元気ですかー!?」と叫んでます、アン〇ニオ猪木かn・・ ☜もういい
ちなみに、ニャンジャ語のやり取りで、「Mulibuwanji?(元気ですか?)」「Bwino!(元気です!)」の流れの次に来るのは、「Madiera?(ご飯どうだった?)」と続きます。ザンビア、ご飯大切なんだなぁ。
⑤つまずくと言われる「ソーリーソーリー」
歩いてて突然つまずいたり、物を落としちゃったり、何かを失敗すると周りの気付いた人がほぼ全員
「Sorry sorry」
と言ってくれます!
最初言われた時、「いやいや、あなた謝る必要ないでしょ!」って笑ったんですが、どうやらザンビアでは、気付いたら「Sorrysorry」と言います、
しかもちょっぴり申し訳なさそうに。笑
先日、マーケットで、すっごいしつこい押し売りに遭遇し逃げようかと速足にしたらつまずいちゃったんです。
すると、すっごい勢いで声かけてきてたひとが急に
「Oh,sorrysorry」と勢い落として言ってきました。
え、やさしいな、おい!
まあ、そのあとすぐまたすごい勢いでセールスしてきたんですけどね。笑
余談ですが、昔S〇perjuniorの曲にありましたよね、
「♪Sorrysorrysorrysorry逃しはしないさ」
・・・。
⑥誰かを呼びたい時の「Excuse me.」は、「Hello.」もしくは「スィッッ!!!!」
これ最初全く反応してませんでした!!!!
Helloはまだニュアンス的に分かります。
「スィッッッ!!!!」
って!!!!!!笑
この「スィッッッ!!!!」なんですけど、舌打ちっぽい感じで言われるから、最初キレられてんかと思ってました。そしたらどうやら呼んでいると本当最近気づきました。笑
試しにマーケットで店員さん呼ぶときに「スィッッッ!!!!」としてみると、、
キターーーーー!!!!!!
ちなみに、現地語では「オッディ?」とか「アッジ?」とか言います。しかも、ちょっと声のトーン落として。(笑)
やから、よく子どもたちが私と遊びたいときにキャピキャピしながら我が家に近づいてくるんですが、ドアの前で「オッディ?」とダンディな声に変えて呼んできます。ちょっとツボ。爆
あー、二年後日本帰ったら、「スィッッ」とか「オッディ?」とか言っちゃいそ~う。笑
(そんなときは、反応してね!笑)
⑦時間の単位は【o`clock】やなくて【hours】(7/9 17:30追記!)
友人に言われて大きな衝撃を受けた英語表現を思い出したので追記しますが・・
ザンビアの時間の単位は、なんとhoursなのです!
本来なら「hours」って「〇時間」って意味で使いますよね。
1hoursだと、1時間。
けど、ザンビアでは
朝6時なら、6hours。
夕方6時なら、18hours。
例えば携帯会社から届いたこのSMS☟
Dear Customer, The service may be unavailable from 23hrs to 05 hrs on 9th May. Watch out for updates
訳:お客様へ。サービスは、アップデートのため5月9日 23時~5時 は利用できないかもしれません。
最初このメール23時間~5時間使えないよーって意味かと思いました。大体の時間の幅広いなって。笑
普通に現地語でなく英語で[hours]表現、平気で入れてくるので、ザンビアに来られた方は要注意です!
余談ですが、大好きなフィリピンでは、0~24時表記でなく、0~12時表記でAMとPMを使います!最近フィリピンの友達と電話するときなどこの表現がごっちゃになる~~!
でも国ごとに違うの面白いですよね~!
3ヶ月で、しかも英語をあまり知らない私が気付いているのはこんなところです。
「感じること。」
同じ英語の文字を読んでいるのに、こんなにも違うんだなーと。
多分、英語ができるひとからすれば、もっと表現方法に驚く違いがあるんやろうなー。
これって、現地に実際来て、ザンビア人とコミュニケーションをとったからこそ気付けたこと。やから、嬉しい発見です!
そして、この表現の違いって、例えば挨拶で、「元気ですか?」からはじまったり、人がやっちまったときに「Sorry sorry」と声をかけたり、すっごく優しい国民性が現れてるなーって感じます。(^^)
☝今日家から見えた、優しくて力強く見えた大好きなザンビアの夕日。
あなたの知ってる国の英語の特徴ってありますか?
よかったら、教えてください♪
ちなみに、英語ができない私は、習得が非常によく、いつの間にか普通にザンビア英語をしゃべる私。
フィリピン人の友達とたまに電話するんですが、私の「あんでぃ~」とか「ばってぃ~」に爆笑。
「最近Yukiが僕の言ってること聞き返すこと少なくなったけど、僕はYukiの英語が分からなくなったよ!!笑」
と。笑
それに、首都ルサカにあがると、私たち外国人には綺麗な英語をしゃべる人がたまにいますが、私が自然とザンビア英語を話すと、笑われます。(笑)
まあ、たしかに、日本でも東日本と西日本、本州と九州、九州内でもびっくりするほど訛りが違いますもんね。私、よく笑われます。
(普段の会話だけでなくLINEやSNSでも結構方言が出ちゃう私。それなのにblogはまるで別人だと同期に言われました。いや、敬語やったら方言出らんけん!笑)
「海外で2年も過ごせば、英語喋れるようになるでしょ!」
と思っている、そこのあなた・・・
国によって違いますから!!!
(☝すっごいムカツク表情)
というわけで、私が2年後、そんなに英語上達してなくても、しょうがないなって思って下さいね♡☜
では、おしまい、ちゃんちゃん♡
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:)☆blog2位になったってえええ?! ~はてなブログのIN/OUTポイント?私がblogをする意味。~
Mulibuwanji?お元気ですか?
ザンビア在住の青年海外協力隊PCインストラクターのゆきちです。
今日は突然ですが、いつもblogを読んでくださっている方に、お礼を・・!(T_T)
🌸今日のおはなし🌸
*ご報告 (芸能人かよ)
なんと、私が参加させてもらっている、にほんブログ村の人気ブログのランキングにて、なんと・・
2位になりました!!!!👏(T_T)ぱちぱち♡
「やけん、なんなん?」
「たった100人くらいのランキングやん?」
「有名な隊員ブロガーこれ入ってないやん?」
って思う方もいるかと思いますが、協力隊を目指してからこのランキングから先輩隊員を探してはblogを見て情報をゲットしたり、イメトレさせてもらってたくらい、私にとっては大きな存在のランキングサイト。
やからたった数名での、しかも一位やなくて二位やっても、嬉しいのですよ。😎👈
そして、この私、タイトルバーにもあるように、成績最下位で走り続けてきており、人生で上位にいたことなんて、これまでの人生、高校時代のスポーツテストもしくは高校時代の強歩大会(という名の部活生にとってはハーフマラソン)しかありません!!爆
だから、なんでも上位ってだけで、幸せなのよ。うん。☜幸せ掴むのちょろっ
去年blog開設したくせに日本にいる半年くらいの間放置してたけど、うれしいのよ。うん。☜☜
「いや、自分が毎回記事の最後に押せ書いてるやん!」
「自分でランキング押しまくってるやろ!」
と色々思うことはあるかもしれませんが、(☜被害妄想半端ない)何にギャーギャー言ってんのか簡単にご説明します♡
あくまでも、私の場合はなので!!
*今回嬉しかったポイント
その1 ランキング意識してなかった時にランクインできたこと
最近、更新率はあがったものの、ランキング意識してなくて、すっかり確認するの忘れてました!
だからもちろん自分でも押してません。(ここ重要!笑) やけんこそ、本当に嬉しかった~~~~~(;_;)
その2 外から見に来てくれた人が多いこと
スマホで見るとわかりませんが、パソコンから見るとこんな感じ。
最新更新状況が載っていたり、INポイントとOUTポイントってのがあるのです。
→INポイントって?
INポイントというのは、自分の記事に貼ってあるランキングバナー(リンク)を押すと入るポイントのようです。つまり投票的な!!
私がいつも記事の最後に貼ってあるものですね。
☝これこれ!
ここからブログ村に流れた方がいる時にINポイントが増えるのだとか!!!(1日1度なら自分がクリックしても増えるらしい!☜お)
→一方OUTポイントって?
INとは逆で、ランキングのページから私のblogのタイトルや最新記事の更新履歴を見て「見てみようかな!」と入ってきてくれた人のポイントです。
多分私は協力隊を目指していたとき、このランキングからblogを探していたので、このポイントをたくさんの人に与えていたのだと思います(☜上から)
なので、今回INの136ポイントに比べOUTの880ポイントも頂いているので、それだけ外から気になってみてくれた人が多いということで、嬉しいなと思います。
「実際、記事見ていいなって思ってランキング押されてないってことやん✋」
と思うかと思いますが、実際、実際のところですよ、blogしてないひとからすれば、
多分、めんどくさくて押さなくですか?☜
記事読んだら、次の記事読むか、もしくは元のページに戻りたいですよね?☜マイナス思考か
よっぽど、私の記事をいい!と思ってくれた人や、
他の隊員のblogを見たいって思った人や、
AKB総選挙のように私推しのファンがいたりとか☜
こんな感じだと思うんです。
でも私は、blogで収益をもらおうとしているわけでもないし、完全に趣味、自分の記録、そして多くの人に知ってもらう、いわゆる「自己満足」でやっているので、これでいいな!って思ってます。
やから、気になるなって見てくれたりとか、1つひとつの記事を見て何か感じてくれたりとか、コメントがあったりとか、シェアがあったりとか、「私の記事に対して何か反応してくれた」ってことが、私はblogやってて一番うれしいなって思うことです。
そんな、マイペースにのんびりしているからこそ、このランキングに偶然ぽん!っと入れたことが、すごくうれしかったです~(^^)♪
*私が青年海外協力隊として活動しながらblogを運営するのに、忘れちゃいけんなっち思うこと。
正直INやらOUTやらどうでもよくて、ここからが自分にとどめておきたいこと。
それは、さっきも言った通り、あくまで私にとってのこのblogは「+α」だということ。
もちろんblogが大切な活動の一部って人を否定するつもりはありませんし、そういう人のblogってやっぱりクオリティ高いし需要あります!!
けど、私はblogのネタ探しや、活動上手くいってる風な記事を上げるとか、SNSにあげるために写真を撮るとか、記事を読ませる仕組みを作るとか、ファンを集めるためとか👈、このたった2年間の活動の主旨をそらしちゃうかもしれないので、私はできないなと。
私がこの2年間で考えたいと思うのは、
「私と関わる人(ザンビア人)」
「日本で待ってくれてる人」
そして正直なところ一番に考えれるようになりたいのは、
「自分の人生の幸せ」
今はまだ自分の人生の幸せを第一に考えれていないのが正直なところです。
でも、私、
「人生わがままに生きれるようになりたい!」
そのワガママな人生が、自然と周りをHAPPYにできてたりすれば最高なんだけどなー。今の自分は逆。周りをHAPPYにするために、自分が成長しようとしてたり、自分が活動していたり、周りありきなんです。
自分の幸せのなかにblogが活性化することが必要な方ももちろんいるかと思いますが、私は「バランスの取れた生き方」を確立することが、自分の人生の幸せにつながるので、故意的にblogを活性化するのは私のblogを運営する目的とは違います。
私の確立させたいバランスってのは、
*自分の気持ちの面で安定した生活リズム
*自分の経験値やスキル
*自分の表現力や感性
*自分の将来像
なんです。
それに私、どうしても競争となると燃えてしまう人間なので☜、多分blogの目的が生活の主になっちゃうと、多分活動で無理をするし、こっちでの生活でネタになりそうなことにアンテナ貼りまくって写真撮りまくって、その間にもっと大切にできる時間を逃しちゃう気がします。そう、私、器用な人間じゃないんですよ。笑
あくまで、 「自分の心の整理」のためにアウトプットしたり、日本で私の無事を待ってくれている人への「報告」のためであったり、私がこっちで目で見て肌で触れて心に感じたことを「共有」してザンビアや海外を知らない人に新しい発見をお届けできる場所でありたいなと。
その中で、読みやすいレイアウトにしたり、面白い文章にすることはしていきたいですけどね!★
この隊員活動を終えて、自然とblogというツールがビジネスに繋がりそうならば、その時はメラメラ頑張りたいですけどね✊笑
まあ、そんなきれいごとみたいなこと言いつつ、やっぱり、コメントがあったり、シェアしてもらえたり、ランキング上位にいたりするのを見ると、嬉しくて、モチベーションあがっちゃうのは正直なところ!!!!!!!☜単純
結局こうやって2位なったぞーって自慢しようとしちゃってるし。笑
いやでも、実は今はまだ人目を気にしながら、コレ、カイテマス。(ぼそり)
嬉しいことは、素直に嬉しい!
イラつくことは、素直に怒る!
悲しいことは、素直に泣く!!
そんな正直な人間らしい人間になりたいものです。
自分にも、周りにも嘘つきたくない。
だから、このblogでも赤裸々に書いていきたいなーって思います。
私がSNSでもblogでも発信すること見て
「あー、ゆきちらしいな!」
「元気にやってんだな!」
って思われることが、実際に会ったときでも、blog見てくださったときでも感じてくれたらなと。(お願いやからその時にイラつかないで!笑)
あなたのそばに、いつも、ゆきち。♥️(☜いい加減にせろ)
最後に、人間、褒められてなんぼですから。(タイトル変えようかいな。)
いろいろ物申しましたが、
他の人のblogは悪いとかディスりたいとか一切思いません!!!
活動しながらたくさんblog活動されるかた本当にすごいと思いますし!!私にはキャパ的にも性格的にも今は違うと思いつつ、皆さんのblogが参考になります😊
ではでは、
blogを読んでくれている皆さま、いつも本当に本当にありがとうございます。
そして、どうか、今後とも私を成長させてください。
ってなわけで、これからも褒めて下さい♡
・・あ、いろいろ違うか。👐
ほんなら!!!
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:)★青年海外協力隊 持ち物(荷物)リスト ~他隊員の意見も同時に紹介しちゃいます!~
Machoma bwanji! こんにちは!
青年海外協力隊隊員としてアフリカのザンビアで活動中のゆきちです^^
ザンビアに来て3ヶ月になります・・はやい!
ということであと2週後には新隊員が来ます。
ちなみにザンビア隊員はザンビアに到着して3週間は隊員専用ドミトリーにて滞在するのですが、そのドミトリーの説明に行くことになりました!
もし、これを見て下さっている方のなかにザンビアの新隊員さんがいれば、どうぞよろしくお願い致します^^
新隊員の皆さんはこの時期荷造りラストスパートかと思います。
私も「1日でぱーっとやってしまおう!」とか思ってのんびりしてたら、結局あえもないこれもないあれはいるの?これはいるの?などばたばたしてしまいました。しかも私たちの時には、訓練終了から2週間しかなかったのに。(笑)
ってなわけで!
🌼今日のおはなし🌼
- 1.現地に持ってきたもの
- 2.現地に持ってくればよかったもの
- 3.持ってくるか悩んで持ってこなかったけど正解だったもの
- 4.もしも、10種類しか持ってこれないとしたら
- 5.現地のどこに行けば物が揃うの?
- 6.その他の隊員の意見!
- おまけ.「絶対手荷物で持ってちゃいけないもの」
1.現地に持ってきたもの
まずは私の持ってきたものについてお話しします。
こちら私のスーツケースの写真(+愛犬 恋夏(こなつ) お見送りにて。笑)
各航空会社によって荷物の量が違うのですが、ザンビアはエミレーツ航空で「預け荷物何個でもいいが30kgまで」と「手荷物10kg以内1つまで」という規定がありました。(もちろんサイズも細かく指定がありましたが、詳細はエミレーツ航空のHPへ)
私は預け荷物は100リットルスーツケース1個にしました。スーツケース自体の重さは5kgなので、絞ったつもりが結構な量を詰め込みました(*_*)
29.8kgめっちゃぎりぎり!!!!!!!笑
手荷物は10kgなのに12kgくらいあって、オーバーしてしまったため検査直前に同期隊員の荷物に余裕がある方におじゃまさせてもらいました。 (マックスさん、ありがとうございました~~(T_T))
ちなみに、スーツケース元々ジッパー式のものだったのですが、
訓練所の語学の先生(フィリピン人)にお見送りの際
『Yuki、これじゃ、ジッパーの部分ナイフで割かれるから、ハードのものにしなさい』
と言われ、慌ててネットで買いなおしました。(怖)
最安値でも9000円ほど・・痛い出費やったけど、9000円で荷物が守れるならと思い購入!そして悩んでる時間はなかった。笑
では、中身の紹介。項目の前の記号の紹介
○:持ってきてよかったもの
◎:もっと持ってくればよかった物
×:いらなかったもの
?:今は必要性の有無不明
【必需品】
~JICAから用意されたもの~
*公用旅券(緑パスポート)
*ボランティアガイドブック
*健康管理の冊子
*航空券(e-チケット控え)
*要請書
~各自準備物~
*現金2000ドル(約20万円)
ただし、金額については、こっちで衣類やら買ったり、食費などだけなら最初の1ヶ月分1000ドルでも良いかもです。。。 到着したら2日目くらいに生活費1ヶ月分だけもらえます。
【個人判断の荷物】
~カード~
◎クレジット&キャッシュカード(VISA:福岡銀行アレコレニモカ)
×クレジットカード1枚(ANA Masterカード)
→滅多に使える場所がない。笑 番号だけ控えておけばネット決済は十分。スキミングの可能性あるので、極力リスクは減らしてても良いかも・・そしてVISAが使えるところばかり。
~文房具~
※全体的に赴任後すぐに必要な量で充分事足りるかなという感じ。
◎クリアファイル
◎おりがみ30枚(色紙滅多に売ってない)
◎安全ピン(個人的に教材に使いたいけど無い)
〇はさみ
〇A4ノート2冊(質悪すぎるノートならある)
〇A4ルーズリーフ100枚
〇シャープペン3本
〇消えるボールペン3本
〇ジェットストリーム(黒・赤)1本ずつ
〇ボールペン替え芯3本ずつ
〇クレヨン(100均)
〇スティックのり(ザンビアあるけど全然ひっつかない)
〇シール
→小さいころ買って今不要のものを小学校でご褒美シールとして使用中
×ふせん
×ホッチキス
×マグネットシート(学校の黒板ひっつかない)
×接着剤アロンアルファ(最強の売ってる)
×黒マーカー5本
~電子機器~
◎外付けハードディスク3TB(意外といっぱいになりそう・・)
◎USBメモリ(書き込みロック?付き)8GB
→私はHUAWEI P9liteですがこれSD入れたらデュアルにならないのでSD入ってもデュアルになるやつが良い◎
【2017年7月1日追記(現時点情報)】
ザンビア隊員のみになりますが、突然JICAZambiaでスマホ所持が必須になりました!購入推奨機種として定められているものは
A) HUAWEI Y3 Lite
B) Samsung Galaxy J1 Mini
C) HUAWEI Y3II
【2018年6月23日追記(現時点情報)】
予算問題などあり、色々ルールが変わってきています。詳しくは、在外事務所に問い合わせるのが一番良いかと思います^^
ちなみにiPhoneは、ザンビア人ほっっとんど持ってなくて狙われやすいです。特にSIMロック解除されておらずWifiが必要なiPhoneなら、持って来なくていいんじゃないかな~って思います!もしくは、肌身離さず持つことを心掛ける!
私は【SAMSUNG GalaxyA5 (32GB)】という機種を使っています。これ、ザンビアで買ったものなんですが日本以外なら販売してるものだそうで、2017年8月に購入したのですがスペックがiPhone7よりも高い!写真画質・容量などなど!おすすめです!(日本で購入する場合は香港などの海外製品のネット販売で購入してみてはどうでしょう!)
〇耐衝撃ラップトップケース1つ
〇変換プラグ1つ
〇100均懐中電灯2つ
〇イヤホン4つ
→授業で動画やらSkypeを見せたかったのでよく聞こえるように。音質にこだわらなければ、ザンビアに中国製の売ってます!値段は日本と変わりません。私は音質とサイズとデザイン的に持ってきてよかったと思ってますが地味に重いから、こっちで買ってもよいかも。。
〇マウスパッド1枚
〇アクションカメラ(Goproもどきの中国製muson笑)
〇ミラーレス一眼
×自撮り棒
→私、自称自前のセルカ棒とも呼べる腕持ってるくらいセルフィー得意なので。)
×エネループ(充電式電池)
→そもそも電池が普通にたくさん売ってる。
×ドライバーセット
→こっちにも普通のドライバーセットはあるので磁石付きとかじゃない限りいらない。
×くりかえし充電できる充電器2つ
→路上でも売ってる
×USBメモリ(書き込みロック無し)2GB(普通のならいっぱい売ってる)
?小型音声レコーダー(差込口USB型)
~衣服系~
◎ポロシャツ1枚
→襟ついてるので少しきちんとしてるし楽
◎パーカー1枚
→5~8月めっちゃ寒いのでもっと欲しい!
【7/1追記】
◎タイツ
→膝丈スカートなど履く人だけでいいけど、こっち120デニールくらいのしか売ってなくて価格も150クワチャ(約150円)だったので、80デニールの薄くて丈夫であったかいのは日本から持ってくるのをおすすめします。
〇綿生地Tシャツ2枚
→JICA・福岡限定T
〇ジャンパー1枚
〇ワイシャツ1着
→女性は1着で十分。売ってる。
〇スーツ上下
→滅多に着ないのでぼろくて良い
〇長ズボン1着
→サイズがなかなか合わないので持ってきた方が良い
〇ガウチョパンツ
→売ってない。楽だしおしゃれなので1つ持ってきてオーダーメイドの型紙代わりにすると良い
〇ジャージ上下1着
→サッカーする機会があるので最初の1着くらいわ★ジャージはめっちゃ売ってるので持ってくるのは1着で良い!
〇黒パンプス→モールにいいの売ってるので最初用一足だけ。
〇スポーツサンダル
→ナイキ&TEVA。現地にスポサン売ってない。すごい便利。TEVAは盗難されたかも、、(しかも多分隊員ドミトリー内で紛失したので間違って隊員に持ってかれちゃったかも。)
〇靴下4足
→めっちゃ売ってるので最初の数日分だけでOK
×おしゃれ用ニット帽2つ
→女の子でニット帽被ってる人ほぼいないから浮く。男の子はたまに見るけどそんなに多くない。
×ロングスカート→オーダーメイド可
×ワンピース→オーダーメイド可
×スニーカー→めっちゃ売ってる
×ドライTシャツ
→サッカーのデザインがめっちゃ売ってる
×ドライ短パン3着→めっちゃ売ってる
?手袋(防水)
?登山用雨合羽
~かばん~
◎スポーツ用ウエストポーチ(防水&軽量)
〇耐衝撃クッション入り防水リュック
〇ウエストポーチ
~薬系~
〇風邪薬(JICA推奨タイレノール)
〇鎮痛剤(LUNA)
〇虫刺され薬(ムヒ)
〇胃薬(セイロガン)
〇絆創膏
〇喘息薬(ROKKATSUAN)
〇湿布(ロキソプロフェン)
〇マルチビタミン剤(ネイチャーメイド)
〇ニキビ薬(ペアアクネクリーム)
〇熱さましシート
〇マキロン
〇ブリーズライト(同期推し!鼻づまり楽にするやつ。笑)
プラスチックケースはこっちで購入。(約400円)
箱はかさばるので、全部ジップロックに入れました。クスリの用途や使用回数は今どきネットでも調べられるし、写メ撮ったら荷物削減になるかと!
~調理道具・食べ物~
◎箸1膳(調理用と食事用分けたい)
◎百均のカッティングボード
◎ふりかけ大量
◎お茶漬けの素20袋
◎乾燥しいたけ300g
◎乾燥わかめ200g
◎インスタント味噌汁
〇百均の包丁(中華マーケットに行けば切れる包丁あり!)
×粉末スープ(クノール普及してるのでコンソメやコーンスープはある)
~日用品~
◎化粧水(合うものに出逢ってない)
◎メガネ1つ(予備持ってくればよかった)
〇圧縮袋6枚(帰国時用含め)
〇ばね&フック付きキーホルダー
〇コンタクトレンズ1年分(こっちでほぼメガネ)
〇爪切り
〇耳かき(売ってない)
〇歯ぶらし20本(こっちのめっちゃでかい)
〇くし3本(おりたたみくしはほぼ見ない)
〇洗顔料1ヶ月分
〇暗証番号式南京錠5つ
〇裁縫セット
〇タオルハンカチ3枚
〇名前入りタンブラー
→一応タンブラーは売ってるので不要
〇マイボトル500ml
→1回だけ首都で見た。新規隊員はドミで水が激安で飲めるのでしっかりとフタも閉まり軽量のマイボトル持参おすすめ。
〇ライフストロー
→安心して飲める水が手に入るストロー。先輩からの送別品。ただ結構水は購入できる。
【7/1追記】
○トランプ(書き忘れてて同期のトランプ隊長に怒られた👈 訓練所でお風呂の前でほぼ毎日夜な夜な6人でトランプやってたんです。笑)
×ハンガー3つ(ドミにもお店にもめっちゃある)
?折り畳み傘
→今のところ見ないけど雨も降らない。雨季になったら売られるのかも?
~勉強道具系~
〇訓練所の英語のテキスト
×TOEICのテキスト
→帰国する前にTOEIC目指すようになったら必要かもしれないが、隊員ドミに山ほどある!
×中学高校からやり直す英語参考書→同上
?技術補完の資料→今のところのトラブルはネットで充分
※これらはあくまで勉強しない人の参考例です。←もっとやれ
~女の子~
◎下着5着
→ブラが合わないし可愛くないので日本から新品ストック持ってくればよかった。
◎ブラトップワンピ
→ユニクロ。もっと持ってくれば楽ちんやった~
→作れるけど質の良いものやっぱり欲しい
◎スクーンカップ
→こっち来てスクーンカップ初体験で大変やったけど、慣れたら本当衛生的にも身体的にも良すぎて予備欲しい!
◎クレンジングオイル1ヶ月分
→滅多に売ってない。ローションタイプならNIVEAのがある。スーパーマーケットで75クワチャ(約750円。街中の薬局なら45クワチャ(約450円)で見ました。
〇化粧品+ストック半年分
〇ビキニ
→任国外旅行用に!内陸国だからかザンビアはほとんど売ってないしあっても少ない。
×生理用ナプキン1週間分(売ってる)
~その他いろいろ~
◎ゴキブリキャップ(ホウ酸団子)
→婆ちゃんから託されたもの。神。ちなみにホウ酸団子作れるみたいやけど、失敗したら餌になるだけと誰かのblogで見たし、何より軽いから持ってきても荷物にならない。我が家のトイレは外で毎日ゴキブリが集まってたけど、これ置いた次の日10匹の死体が転がってたうえに、数日後姿を消した。
〇カオハガン島カレンダー
→フィリピンを思い出せるし、お部屋のインテリアとしても◎
〇エガちゃん日めくりカレンダー
→バングラデシュOGのお友達からの贈り物。笑 辛いときに良いと経験者は語る。
×おみやげ(寿司キーホルダー・メモ帳)10個ほど
→お土産あげんでも仲良くなれたし、最初に物あげると今後も鷹ってきそうやから上げない方が良いと判断し、最後にでもあげようかと保管。
2.現地に持ってくればよかったもの
無かったら無かったで死にはしません・・が、やはり生活を始めてみて、欲が出てきます。
リフレッシュのためにオシャレできるものや、体調崩した時に食べると安心できる日本食など。ちょっとした心に余裕を持てることをするためにあったらいいなーと思うものです。
*日本の写真
→写真見せてと言われるとき多い。私はデータ容量削減のため日本の写真は全部外付けHDDに入れたので毎度見せるのが大変。100均のアルバムに写真印刷したの入れればよかったなと。ちなみにザンビアで写真印刷するとなると、1枚約100円もします。
*日本円
→日本の紙幣や硬貨見せてと言われます!特に5円玉と50円玉。それと、ザンビア隊員はザンビアの銅で10円玉つくられてたんだよーって話題になります!
*折り畳みミラー
→くし同様小さいものはない。小さいミラーあってもアルミみたいな質で綺麗に見えない。笑
*綺麗めな服1着ほど
→首都にいる間本当に感じました。ザンビア人、意外とおしゃれしてる!!私ボロッボロになってもいいようなTシャツとかしか持ってなかった・・事務所にはカジュアルすぎる服は微妙だったし、こっちでできた友達にちょっと良いカフェやレストランに連れてってもらう機会があったので、すぐに必要になったときのことを考えて、かさばらないワンピースなど1枚あったらいいかも!
*私服用の無地白or黒シャツやブラウス
→現地の服や生地は柄物ばかりなので、持ってくる服は着回しきく無難なこの色をすすめます。
*シンプルなピアスやアクセ
→こっちの人オシャレで普通にピアスしてます。ただ民芸品の売ってるマーケットにいけばアフリカ布のピアスはある!それでも十分いいけど、たまにシンプルで小綺麗なピアスしたくなる。。。女子だけの気持ちかな~
*ヘアアクセ
→100均レベルのものしかない
*口紅ストック
→私の唇に合わず皮むけまくり 泣
*ミニホワイトボード
→授業教材。ネット中継授業するとネットが遅くて筆談になる恐れもあるので!
*布ガムテープ
→ビニール製しかない
*100均コルクボード
→コルク記事の材質がない。インテリアやピアス用に欲しいな~~
*ウォータープルーフの腕時計
→普通の腕時計は大量!洗濯や水汲みなど水触ること多い。同期曰くCASIOに安価でウォータープルーフあるらしい
*すきばさみ→存在しない
*洗い流さないトリートメント
→髪死んでる
*丈夫なチャック付き無地のトートバック(学校用)
→目の前の学校にちょっといくだけでいつもでかいリュックは不便。そして作るとしても柄物ばかり。
*皮むきピューラー
→調理器具の皮むき。こっちにも一応存在してますが・・全然むけない。
*日本食・日本の調味料
→任地へ赴任し1週間、体調崩しました。その時精神的ダメージの方がつらくて、助けられたのが持参していた乾燥椎茸や駐在員の方から頂いたひやむぎ乾麺とだしのもとで使ったあったかいうどん。この時もっと日本食持ってくればよかったと思った。中華スーパーはどこの国にもありますが(離島系の国を除く)、日本にしかない味や調味料を調べて持ってくると良いと思います!~*カレールウ*めんつゆ*乾麺(うどんやラーメンや素麺)*かつお節*塩こんぶ(駄菓子やなくてキャベツに和えるの*緑茶粉末*のり*のりの佃煮など~
ちなみにザンビアで手に入る日本食関係、「みりん/醤油/キューピーマヨネーズ/粉末味の素/のり/出前一丁」あたりは【ORIENTAL SHOP(Woodlands shoppingmall)】や時たま中華食材やに現れます!
3.持ってくるか悩んで持ってこなかったけど正解だったもの
*本
→隊員ドミの図書室にある程度のジャンルの本、漫画、参考書があります。
*パソコンのテキスト
→上に記載した図書室や、他にも大体のことはネットに書いてる。よっぽどの僻地じゃない限り近くでネットが繋がる場所はある。
*ノートパソコンもう1台
→モニター代わりにとか思ったけど、職場にプロジェクターあったのと、安いタブレットやノートPC普及しているので荷物になるから要らない。
*登山用スニーカー→売ってる
*虫よけスプレー→現地にある
*ドライヤー・コテ・アイロン
→なぜかこっちに売ってる。現地の人ウィッグつけるか、坊主やのに。笑
*変圧プラグ
→変換プラグさえあれば今のところ問題ない。ドライヤーやコンロはこっちで買えばよい。
→USB差込口はないけどパネル自体はめっちゃ売ってる
*コーヒーメーカー
→コーヒープレスが売ってるのでこだわらなければいらない
*しょうゆ
→私個人的には料理に使えば中国の醤油で問題なくなってきた。笑 KIKKOMANも1500円くらいするけどある。
*バスタオル2枚以上
→普通に売ってる
*ビーサン
→そこら中に大量に売ってる
*メジャー
→スーパーに売ってる
*蚊帳
→訓練所で頂いたものの重量オーバーで抜きました・・が普通に売ってます。笑
*画鋲
→売ってるし、そもそもザンビアの住宅は刺さる質の壁がすくない笑 釘使用。
*小さめのおしゃれバック
→デザインこだわらず中古でよければ大量に売ってる
*動画編集ソフト
→Windows10はムービーメーカーがないのを知らず、こっちに来てネットで【WondershareFilmora】を購入。DL購入可能!
*A4印刷用紙
→スーパーなどにある。
*マニキュア
→めっちゃある
こんな感じです。
4.もしも、10種類しか持ってこれないとしたら
こっちに来てみて感じたことを踏まえて絞ってみました★
①公用旅券(パスポート)
②航空券
③お金1000ドル(約10万)
④キャッシュカード
⑤2日分くらいの服
⑥5日分下着
⑦スクーンカップ
⑧ゴキブリキャップ
⑨ノートパソコン
⑩日本食!!!
こんな感じです!笑
こだわりのものやないと嫌!ってことを基準に選ぶと良いかと思います。(あと日本クオリティ)
あとはデータ化できるものはデータ化して持ってくる!訓練所で大量にもらう紙資料や活動に必要な情報などはスキャンしたり写メ撮ったりしてパソコンやHDDに入れて持ってきましょう。
それと重量とは関係ないけど、ネットが日本のように早くないので、必要な動画や音楽などは、日本にいるうちにあらかじめDL(ダウンロード)していくことをおすすめします!
(息抜きの映画なども含めてね!)
そうして、ちょっとでも荷物を減らして余ったスペースに、入れれる限りの日本食持ってきたい!!!!!!!!笑
5.現地のどこに行けば物が揃うの?
大体の国は首都にショッピングモールがあり、そこに色んな種類のお店もレストランも揃っています。
もちろんザンビアも首都ルサカのショッピングモールに行けばある程度揃っています!
ただ、ショッピングモールは日本と変わらない値段のことが多いです・・
ちなみに、ザンビア隊員向けになりますが、私は安く済ませたい派なので、あまりモールには行ったことはなく「タウン」と呼ばれるローカルマーケットでほぼ揃えました。
あと、ザンビアで手に入る日本食関係は【ORIENTAL SHOP(Woodlands shoppingmall)】や時たま中華食材やに現れます!
これはザンビア隊員向けになるので、次回詳しくおすすめのお店載せます!!
6.その他の隊員の意見!
私、こだわりなさすぎてあんまり参考にならないかもしれないので(笑)、他の国にはなりますが過去荷物についてblogに書いていた人に声をかけさせてもらい記事を紹介したいと思います★
【タンザニア同期隊員:みっちー】
青年海外協力隊、持ってきてよかったもの、持ってくればよかったもの | タンザニアでコミュニティ作りに挑戦する青年海外協力隊員のブログ(仮)
パスタ大好きみっちーのパスタレシピ・・でなく、持ち物リストです★「確かに確かに~!」ってうなずいちゃった!ちなみに今回のblogかなりみっちーの見ながら自分の荷物思い出したよ、ありがとう。(笑)
【ラオス先輩隊員:SAKIさん】
【女性隊員編】青年海外協力隊出発前の持ち物リスト | SLOOWLIFE
私が「青年海外協力隊 持ち物 女性」と検索した時は現役女性隊員の情報かなり少なく・・非常に助かりました(^^)しかも見やすい!!! 持ち物の重要度や種類やはり女性と男性で違うもんですよね~~!あと、アジアとアフリカでも違う!(ラオスは日本製品売ってる場所があるようです・・ザンビアは、、本当稀です。)
【ナミビア隊員OB (PC隊員必見】
直接の知り合いではなくお名前もわからず、リンクの許可も取れてないのですが(もしまずかったらおしえてくださーい!)、PCインストラクターにとってすごくよい情報源だったため紹介させてもらいました!PC隊員っぽい荷物情報たくさん載ってます★(そして見やすい!ちなみに私、なんちゃってPCインストラクターなんで、工具とかは持ってきてないのでリストに記載してないのですが、本物のPC隊員はこの記事必見です・・笑)
【ナミビア隊員OB:ユウスケさん】
青年海外協力隊、赴任時の持ち物 まとめとアドバイス的なもの - 国境の南、太陽の西
namibia-jocv253.hatenablog.com
こちらの先輩隊員さんのページにも派遣前に大変お世話になりました!ご親切にExcelファイルまで用意して下さっています★このExcelファイルを自分バージョンに書き変えて準備した同期もいました(^^)もちろん私もかなり参考にさせてもらいました!
青年海外協力隊におすすめ79個の持ち物リスト、現地で役立つパソコン・シムフリースマホ | JIBURi.com
「協力隊blogと言えば!」ってくらい有名なブロガー宮崎さん★こちらも詳しく載っています。多分ネットで「協力隊 荷物」とかで検索した多くの人が見たんじゃないかな?
おまけ.「絶対手荷物で持ってちゃいけないもの」
それは、 「飲み物」 !!!!!!!!
某ザンビア同期(ペンネーム:ドラゴンさん)は、2017年3月27日、羽田空港にて飲類(アルコール、ア〇ヒビール)数本所持していたことが発覚し、搭乗前に一気飲みに迫られました。もちろん、搭乗することには少々酔っ払っており、公人としてのあるまじき姿・・でした。ドラゴンさん曰く「初めての海外渡航で知らなかった。日本の味を持っていきたかった。」「飛行機の中で飲もうと思っていた」と残念そうに言うのでした。
この写真は、空港の荷物検査場前にて土壇場で水やら、ビールやらをがぶのみしているのを、同期チャーマ(ベンバネーム)が捉えたもの。
税関はみなさんの感情なんて知ったこっちゃありません!!笑
みなさん、もしビールを持っていく場合は預け荷物にいれましょう!(なんか言われることもあるからこっそりね)
海外に行ったことがある人は知っているかと思いますが、同期隊員に初めての人がいるならばぜひ確認してあげましょう!
ちなみにこの記事の写真と事例紹介については本人に了承済です。本人曰く「まぁ俺みたいにあんま飛行機乗ったことない奴の参考になるんでねぇの?」(LINE文章そのまま転載)とのことでした。笑 ありがとう、マッシュルーム・ドラゴン!
おしまい♡ちゃんちゃん
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:)★活動91日目 昨日、裏の人が、自殺した。
Mulibuwanji? お元気ですか?
アフリカのザンビアにて、青年海外協力隊として小学校で活動中のゆきちです。
タイトルを見て気を悪くされた方は、ごめんなさい。
今日は少し重たいお話し。
だけど、初めてのことだらけだったので、しっかり書き留めておきたいなと思い、綴っています。
※これがザンビアの当たり前のことではありません、どの国でも起こり得ることです。
1.昨日、裏の人が、自殺した。
*夜中に校長先生からの連絡
2017年6月25日 日曜日 深夜0時。
この日は昼間寝すぎて眠くならんかったもんで、私にしては夜更かしをしてblogを書いていました。
blogを書いてるとき、日曜夜にもかかわらず(というかうちの村は土日関係なく静かだけど)、叫び声から始まり、呪文みたいな声や歌が聞こえてて、「気味悪いなぁ・・」なんて思っていました。
そしてblogを書き終え、「さて寝ようかな」とベッドに入って寝ようとしていたとき、、
♪ピロロン
こんな夜遅くにSMSが。一体誰だろうと開くと、そこには配属先の小学校の校長先生の名前が。
We have a funeral at the chavwanga's. That girl he keeps has committed suicide.
というメッセージ。
英語ができない私にとっては見慣れない単語が入っていたので、「めんどくさいけど、チャバンガ先生の名前も入ってるし確認するか~~。」と辞書で一つ一つ検索・・
- funeral・・葬式
- committed suicide・・自殺する
・・・え???
ぞくぞくっとした。久しぶりの感覚。
まず、近い存在の人が亡くなったこと。
そしてザンビア人が、自殺という衝撃。
さらにはチャバンガ先生の女の子って誰??
いろんな想いと疑問が頭のなかをぐるぐるしていました。
*いつ、だれが、どうして自殺を?
まず、SMSにも書いていたチャバンガ先生というのは、私の職場の役職者です。多分4番目くらいに偉いと思われます。男の先生のなかでは、校長先生の次に偉いので、私の任地の家の準備や修理など、チャバンガ先生がやってくるし、力仕事や車の運転は彼がいつも任されています。
そして、とってもユーモアでちょっとSっ気があるおじさんで(笑)、いつも私にちょっかいやら冗談を言ってくるいい人です。
彼は私と同じく教員住宅に住んでいて、私の家の裏にいます。チャバンガ先生の奥さんと、娘2人と、奥さんの妹さんと住んでいました。娘2人は配属先の学校の6年生と2年生で、以前折り紙講座した後にわざわざうちまで「折り紙教えてー!!」とうちに尋ねてきた2人です。だから、チャバンガ一家とは結構近い存在です。
さて、そんなチャバンガ先生一家、今回亡くなったのは、チャバンガ先生の奥さんの妹さんでした。まだ10代後半で、学校に通うために下宿していたようで、お母さんとお父さんは首都ルサカに住んでいるとのことでした。私も何度かお会いしたことはあって、すごく落ち着いた子でした。
次の日、学校でいろんな先生に聞きました。なんせ、私は英語が一回じゃ聞き取れないので、いつもいろんな人に同じ質問をして色んな情報を集め共通点から何の話題なのか理解しています。
このチャバンガ先生のお家の隣に住んでいる事務の先生がじっくり、詳しく教えてくれました。
おそらく土曜日夜に、彼女は毒を作って、こっそり飲んだそう。
日曜日の朝から頭痛と吐き気に見舞われる彼女を家族は心配して病院に連れていこうとしていた頃、彼女の口から唾液や泡がどんどん出てきたらしく、急いで車に乗せ病院に連れていったが、車の中で息を引き取ったらしいのです。
家族も突然の出来事すぎて、病院で解剖検査をしてもらって分かったのが、彼女の体内には毒と見られるものが入っていたことと、
お腹の中に、赤ちゃんがいたこと。
この事実は、病院の先生に伝えられるまで誰も知らず、そして家族の誰もが気が付かなかったらしいのです。
突然の死に、自殺という真実を知った家族たちは、ショックすぎて、私が次の日(月曜日)の夕方訪れたときには嗚咽を上げて泣きわめいてました。。。
私が、詳細を教えてくれた先生に
「その赤ちゃんのお父さんは誰か分かるの?」
と聞くと、
『分からない。Yukiこれを読んで?彼女は襲われたの。』
と一つの紙を見せられました。
レンジェ語で書かれてあったので、全くなんて書いているかわかりませんでしたが、
先生にひとつひとつ英語で説明してもらいました。
2か月前、私は知らない男に襲われた。怖かった。こんな汚い自分であることを誰にも言えなかった。私は家族のみんなのことは本当に心から愛している。でもこんな自分、そしてこんな私に宿った子どもを心から愛することはできない。神様こんな私でごめんなさい。神、友人、家族のこと愛しています。
ということ。
本当に衝撃でした。
衝撃で、何も言葉がでなかった。
「物がなくても心が豊かである途上国の人」に憧れてやってきた私は、「自殺」という現実がやってくるなんて全く想いもしていませんでした。
そして、のんびりと優しい人が多いと感じるザンビアの「治安」を心配することは本当に少なかったので、現地の人で、こんな許せない、そして恐ろしいことが起きるなんて、思ってもいませんでした。
家族は、本当にいたたまれない気持ちなんだろうな、と。
『私が守ってあげられなかった』
『私の愛が足りなかったのか』
『知らない男のことが憎すぎる』
と終始、嗚咽を上げながら泣き叫んでいました。
2.ザンビアでの、人の”死”とは。
*同僚の反応
SMSをもらった次の日、朝一で臨時職員会議がありました。 ・・が、しかし、『チャバンガ先生は葬式のためいません。』程度。
「え、こんな学校の敷地内に住んでる人が亡くなったのに、そんなもんなの!?」とかなり驚きました。まあ、職場の人でも生徒でもないし・・そんなもんなのか?
ちなみに、その日の会議の主の話題は、「教員用女性トイレにヘビがよく出るから、男性と変えてほしいという意見について」と「金曜日にあったチボンボ郡スポーツ大会の試合結果」の2つ。・・え、嘘でしょ?笑
会議が終わって、同僚のところにいくと、『コンニチハ~ゲンキデスカ?』と、呑気に最近私が教えた日本語で挨拶かましてきた!!!笑
そんな同僚に、「昨夜の校長からのSMS本当に驚いたよ。自殺って・・一体何があったのかな?私は何をしたらいいのかな?」と聞くと、
『あぁ、Madam Yuki,ザンビアでは人が死ぬのはよくあることなんだ。ザンビアだけじゃなくアフリカ全体的に。大人だけじゃなくて子どもも。きっと、あなたはこの2年間で近所、先生、生徒、たくさんの人の死の場面に直面するよ。だから、そう驚く必要はないし、特に何もしなくてもいいよ。』
と、意外とあっさり。(*_*)
確かに、途上国は平均寿命が低いから死は身近とは聞いてはいたけど・・本当なんやー。
いやでも、今回は自殺だよ??んー。
ところで、よくよく考えたら、私、身内のお通夜やお葬式行ったのって、小学校3年生の時の祖父が最後で、それからは、中学校の時に部活の顧問の先生のお母様のお通夜、大学1年の時に大学のクラスメイトのお葬式(持病があった子だったけどそれでも衝撃だった)、社会人2年目で同期のお父様のお通夜くらいで、この死と向き合うことが多いザンビアと比べたら、「死」ということに直面した経験はない方でした。
やから、今回のことで私はものすごく動揺していたけど、同僚は教員住宅住まいでなく、別の村から通っているのもあるせいか、職場の同僚でない彼女の死は彼にとってはよくある死の一つみたいで、特に何するわけでもなく帰っていきました。(*_*)。
でも、チャバンガ先生はいつもお世話になっているし、本当に心配だし、何かお参りとかできないのかな・・と思い、いつも面倒を見てくれる隣人のグィーバ先生のところに行くと、
『Yuki、お葬式に行くなら私がついていくわ。』
と言ってくれ、お葬式にいくことにしました。
*ザンビアのお葬式の様子
ザンビアの・・というか、うちの村のお葬式なのかもしれませんが、かなり簡素な感じでした。
日本のように、白と黒の服(喪服が主)で参列し、葬祭場で白黒に統一された装飾に、ぶわーっと菊の花や、思い出の品を飾り、時間になったら受付があり、香典を渡し・・・など一切なく、
男性は普通の服、女性は普通の服になぜかチテンゲ(アフリカの派手な柄の布)を巻き参列。チテンゲってエプロンとか作業着なイメージだったけど、お葬式は必須みたいです。みんな巻いてた。
会場は亡くなった方のお家で、一室にマットレスやカーペットなど敷き詰め、訪れた人はすぐにその部屋で座ります。(しかも足を伸ばして!!掛け布団も用意されてました。)そこで、喋らず座って待ちます。
ちなみに、偶然なのか、そういう決まりなのか、室内は女性のみ、男性は外。室内に置いていただろうソファやいすを庭に並べてそこで談話してました。
お葬式の流れとしては、朝からず~~~~っと人が来ては亡くなった方の身内の傍でひたすら座り、歌い、祈り、泣きの流れ。帰るタイミングは各々なので、お通夜のような感じなのかなと。
私が行ったときには、丁度聖歌隊が来たときで、ひたすら(6曲くらい連続)聖歌を歌っていました。めちゃくちゃうまくて、だからか、私からすれば、普通にゴスペル聞いてるようでその時は少し華やかに感じました。。だけど、身内の表情はどんより・・。
ちょっとしたら、写真が回ってきました。日本のように写真を飾るのではなく、回すのです。そして、それをぱしゃぱしゃ自分の携帯やスマホで写真を撮りだす・・・日本じゃ考えられないですよね。。(*_*)
そして、そのあとです。
(かなり)突然、
『う~~~うあああああああああ!!!!』
と、雄たけびのような泣きわめく声というかなんというか、びくぅっっ!ってなっちゃうくらい、突然入ってくるんですよ!!(しかも1時間半のうち2回あった)
え、なにこれ、演出???
この雄たけび隊(勝手に名付ける)が入ってきたら、今回亡くなった彼女のお姉さん(チャバンガ先生の奥さん)は、どーんよりした様子から一転変わって、共に泣き叫ぶんです。
と思ったら、ミュージカルかのように曲調になって、そこで、『私が彼女を守ってあげられなかったから~』みたいなこと嘆いて、周りの人たちが号泣しながら『そんなことないそんなことない』って泣きながら励まして・・・
そして落ち着いたころにまた新たな聖歌隊が来て歌って・・のエンドレス。ちなみに今24:00現在もなおずーっと聖歌隊が歌ってる。。お昼よりか、みんなの声も時たま明るく聞こえますが・・ひたすら歌って、祈ってるようです。
こんなにもできるのって神を信じているからこそなんだろうなー。こういうとき、信じるものがあるひとって、本当素晴らしいなって思う。
ちなみにお棺はというと、置くことが普通のようですが、今回は体内解剖したのもあるので、会場にはなくルサカにあるとのことでした。解体後縫ってルサカのお墓に後日埋めにいくそうです。
3.今回の死、そしてお葬式で感じたこと
*自分の英語力の無さによって傍に寄り添えない辛さ
お葬式に行ったものの、こういう人の死に直面したときにかける言葉が分かりませんでした。
そのため、すごく傷ついているチャバンガ先生や、チャバンガ先生の家族が想い想いに話してくれる言葉が聞き取れなかったり、なにより私は何も声をかけてあげられず、私まで非常に落ち込みました。
ましてや、日本や語学学校での英語の学習で、冠婚葬祭の言葉って学ぶ機会あまりないですよね?結婚式はあったとしても、お葬式の場面って・・お葬式自体にあまり行ったことのない私からすれば日本語でも少し言葉かけに悩むのが正直なところです。
しかし、見方を変えれば気付きになりました。
これを機に、まだまだ勉強しなくちゃならない。こういう時の言葉も英語、現地語合わせて勉強したいなと思います。(もし経験ある方はぜひ教えて下さい)
*治安の良い方と言われるザンビアでも油断禁物
村で過ごす中で、事件もなく、のーんびり、オープンに過ごしている私は、「あー、ザンビアなんて平和なんだろう」と思うことが多々あります。
しかし、現実はそうとは限りません。
これは途上国にしろ、日本にしろ同じこと。犯罪は残念ながら起こります。慣れてきたころが一番危険といいます。初心を忘れるべからず。 肝に銘じます。
*"自分の死"に影響するのは自分だけではない
ザンビアに来て、最初の3週間事務所で研修があります。その際、 「墓参」というプログラムが組まれているのですが、これまでのJICAボランティアの死について共有され首都のお墓には同期と調整員(JICA駐在スタッフ)と墓参します。
その時の共有に、各保護者からの手紙も共有されるのですが、その手紙を見て涙がでました。
マラリアで亡くなった方の保護者さんのメッセージのなかに『たった一匹の小さな蚊に、自分の大切な娘の命が取られたと思うと悔しくてたまりません。』という言葉がありました。本当その通りですよね。それを読んで、私は副作用のリスクがあったとしてもマラリア予防薬を必ず飲もうと決めました。
他にも死因として、交通事故や、現地での病気などありましたが、
「2年間協力隊に行くことを自分が引き留めていたら。」
「最後に会えなかったことが本当に心残りです。」
こういった言葉から、家族、スタッフ、友人の悲しみと悔しさが一番感じられました。
実は、私は人生で自殺を引き留めた経験が三度あります。
中学生のとき、大学生のとき、そして教員生活で。
その時に感じたのが、自殺して残るものは「多くの人の後悔」しかないということ。
本人は苦しくて、周りのことなんて考える余裕なく、自分がラクになることを選ぶしかなくなり自殺をしてしまったかもしれないけど、少しだけ視野を広げれば、少しだけ人を頼れば、少し楽になれることはあるはず。
こっちで生活をして思うのが、 「余裕のある生活ってすごいな」って。
日本で、切羽詰まりながら、時には無理をしながら、目の前のことにがむしゃらに突っ走ってきて、それが「よく頑張ってる」と評価に繋がったりもしていたけど、ザンビアに来て、私にはその働き方はあってなかったなーって少し感じています。
ザンビアに来て、のんびり、今やれることをやろうという生き方にしたことで、まだたった3ヶ月だけど、逆にアイディアが出てきたり、健康面も整うし、ネガティブになることが減ったし、人に対して優しく考えられるし、少しのことで感動できてHAPPYを感じれたり、「見えてくるもの」「感じれること」が全く違うように感じます。
日本に帰ったら生きていけるのか不安になるところですが(笑)
「余裕を持てる」環境に身を置くこと。
「余裕を作れる」自分になること。
こんなことを大切にしていけたらいいなー・・なんて、2年活動終えたひとが言うようなことをまだ3ヶ月の私がいうのってどうなんでしょう!!(笑)
けど、本当思います。(^^)
そして、「助けて」と言える勇気。
自分の弱みを見せる、自分の恥を見せる、すごく勇気をいることだけど、一歩踏み出すことで変わります。本当に。私も実は大学生のころ、友人に救われたことあります。あの時、彼女に助けてって言えなかったら、今の私はいなくって、本当に感謝しています。
今回の彼女も、襲われてしまったことは本当にとてつもない怒りと悲しみしかないけど、もし「助けて」と言えたら、彼女はラクになれたかもしれないし、彼女の周りが悲しむことにはならなかったかもしれない。
「人に弱さを見せること」 は私もかなりの苦手分野だけど、そんな自分も変えていけたらいいなって思います。
少し話が脱線しましたが、今回の身近な人の死をきっかけに改めて「私」の人生において大切なことについて考えさせてもらったことに感謝だなー。
そして、ここまで書いておいてなんですが、日本と比べ寿命が短いというのはアフリカや途上国ならではのことですが、
『レイプ』という事実は日本でもどの国でも残念ながら起こっていること。この記事を読んでイメージダウンすることを恐れて書くか書かないか悩みましたが、良いことばかりを伝えるのもどうだろうと思い書きました。
何度もいいますが、決してザンビアだから、途上国だから、という話ではありません。日本でも他の国でも起こりえること。
基本は落ち着いてるし、人もいい人が多いし、ザンビアは大好きな国のひとつです。
さ!明日からも、のんびり、いろんなことを感じていけますように。
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:)★ゆきちの協力隊人生道 その④これまでの海外経験やボランティア経験は?
Mulibuwanji? お元気ですか?
青年海外協力隊としてザンビアにPCインストラクターで派遣されています、ゆきちです。^^
さて今回は、
【ゆきちの協力隊人生道シリーズ更新予定一覧】
1.協力隊を目指した理由(2017/5/21更新済)
2.なぜ教員をやめようと思ったのか (2017/5/22更新済)
3.退職後協力隊が決まるまでは何してた? (2017/5/28更新済)
(以下次回以降トピック)
5.実際協力隊に来てみての感想は?
6.帰国後の進路はどうしたいか?
をお届けしたいと思います!
4.これまでの海外経験やボランティア経験は?
実は私・・
海外ボランティア経験は今回が初めてです!!
スタディツアーとかも参加したことないし・・本当に旅行だけでした。
しかも、日本でやったボランティアも、大学時代に週に1度中学校の不登校の子たちが集まるクラスのサポートに入ってたくらいだし。。。
そんな私が、なぜ2年間も海外で、しかも発展途上国で、そしてボランティアとして行くことを決めたのかお話ししたいと思います。
①私の海外渡航歴
実は私1人っ子でして、兄弟がいないということもあり、幼いころから海外に連れていってもらってました。(感謝)
【海外渡航歴 一覧】
1997年 韓国/ソウル 1回目(家族)
1998年 韓国/ソウル 2回目(家族)
1999年 ハワイ/マウイ島&ホノルル(家族)
2001年 オーストラリア/パース(家族)
2003年 ハワイ/ホノルル(家族)
2006年 中国/上海(大分県の交換交流)
2006年 ニュージーランド(修学旅行)
2009年 アメリカ/LA(家族)
2012年 ベトナム/ホーチミン→カンボジア/プノンペン&シェムリアップ→タイ/バンコク&アユタヤ(友人2人とバックパッカー旅)←人生ががらりと変わったきっかけ
2013年 フィリピン/カオハガン島 1回目(1人旅)←さらに人生を変えるきっかけ
2014年 グアム(友人2人旅)
2015年 フィリピン/カオハガン島 2回目(1人旅)←とどめをさした3度目
2016年 カンボジア/シアヌーク (1人旅&友人隊員訪問)
2016年 フィリピン/セブ&その他 (留学)
2016年 インドネシア/スマラン&カリムンジャワ島 (1人旅&友人隊員訪問)
2016年 フィリピン/9ヶ所周遊 (1人旅&現地友人宅訪問)
おお・・こうやって一覧にすると本当に行ってるな~~
そのおかげで海外は元々好きでした。
ぶれっぶれのアメリカ サンタモニカ(笑)
母親にも昔、
「日本で暮らして行けなくなったら海外に留学でも行って来たら?英語も身につくし。(←安易)」
なーんて言われてたので、いつか行けたらいいなーなんて思ってはいました。
本当は大学生活で海外行きたかったのですが、大学生活は体育会(ラクロス部)に所属していたのでもっぱらグラウンドを駆け回っていたし、これは今しかできないなと思い、テスト休みに行ったアメリカと、大学4年の東南アジアに初めてのバックパッカーしたのが最後でした。
ちなみに、海外こんなに行ってるにもかかわらず、英語ができたのは中学生まで!
(中学のときは英語ほぼ100点か9割取れてたのに、高校赤点しか取ってないよ。笑)
旅行中に必要な質問や簡単な自己紹介がなんとなくできるくらいで、込み入った話などはできません。笑
②自分の海外への価値観を変えた旅
その1*カンボジアの村へ訪問 ~日本人詐欺師に出逢う~
私の大学4年の11月に部活(ラクロス)を引退し、すぐに航空券を取って3週間バックパックを背負って旅に出かけました。
☝すっげー腹立つ顔!笑
それまで、海外と言えば発展国で、お洒落で雑誌に載ってるような都会でにぎやかな場所に行って刺激がもらえるあの感覚が好きでした。
だけど、大学生活中に「バックパッカー」という存在を知り、バックパッカー旅で東南アジアを回る友人のSNS投稿をちょいちょい見かけていて、「発展してない国の何がそんなにいいんだろう?」と思いつつ、気になっていました。
幸運にもヨーロッパ留学歴のある英語がペラペラな友人が「東南アジア行ってみたいんだよね~」と言っていて、調べたら「6万あれば3週間くらい行けるやん!」と知り、思いつきで行くことに!
また、うちの大学にはカンボジアの教育に強く関わりのある教授がいたので(私の学科ではなく保育科にですが。)、
「カンボジアまた行きたい!」という話をよく聞いていました。
なので、「カンボジアは絶対行こう!」と決め、あとは3週間で陸路で回れそうな国にいこうと考えました。
そして、3週間の旅、本当あっという間に過ぎました。
そして終わってみての感想は・・「もう一度行きたい!!!!!」
なんなら、入社前の2月にもう一度行けないか航空券を検索までしていました。
では・・なぜ再訪問をやめたのか。
実は、きっかけとなったカンボジアの村へ行けたのは、シェムリアップで出逢った日本人男性のおかげだったのですが・・
なんとこの人・・日本人観光客を騙す詐欺師だったのです!笑
シェムリアップ怪奇譚 : 怪しい自称日本人ガイド「じいくん」の謎 « シックスサマナ
この時期にシェムリアップに行った人は、知ってるんじゃないかと思います。
しかし私は・・
この詐欺師のおかげで人生変わったんです!爆
(きっとこの詐欺師がこのこと知ったら、ちょっとでも貢献できてよかったーって思うのかな?笑)
それは3週間の東南アジアバックパッカー旅中盤にさしかかってた頃、主要観光地は一通りみて、満足もしていました。
だけど、なんか物足りない・・そう、途上国らしいところを見れていなかったのです。
主要観光地は日本ほどではないけどにぎわってるし、綺麗に整備されてるし、水も電気もガスもあって・・。
だけど、どこも作られた世界な気がして。
国をまたぐときとか、都市につくまでの道中で見える村の風景を見ながら
「あーゆー何もない地で暮らすひとたちは一体どうやって何を思いながら生きてるんだろう。」
って思ったりしていて、もっと村とか学校とか見てみたいなーと思ってたときでした。
「僕の友人の村に連れてってあげるよ!」
私、ナンパとか勧誘とか結構警戒する方なんですが、なんかこの時「根拠のない自信」があったんですよね。笑
そして行った村は・・私が行きたいと思っていた本当に何もない村。
小屋のような家がぽつぽつとあるだけで、電気はなくランプ。簡単な英語も伝わらんカンボジア人が暮らしてて・・
でも、なんだろう、言葉はわかんなくっても伝わってくるそこの人たちの暖かさとか、目の綺麗さに魅了されてしまったのです。
そして、帰りは満天の星空。流れ星や天の川がずーっと見れて、、、今もなお人生で見た夜空のなかで一番綺麗だったなあって思うくらい。
物はないはずなのに、
『豊かだなあ。』
そう感じました。
そんな村が忘れられなくて、「2月入社前にもう一度行きたい!!」と思い、紹介してくれた方(実は詐欺師のひと)と連絡をとりあっていた最中に
「そういえばこの人日本人何度も連れて行ってるっていうし、旅人の中では有名なんかな?」
と、「彼の名前(時空) 日本人」でGoogle先生に尋ねてみると・・
出てくる出てくる悪い評判\(^o^)/
いやーびっくりしたーーー!!!笑
そして、後日その人は逮捕され強制送還される。笑
確かにご飯代はしれっと払わされたけど・・
(ゆーて、日本円やと1500円増しくらい。笑)
私たち、本当なにもされんでよかったよ。笑
でも、そんなこんなで、彼の連れてってくれた村にいったことで、私の海外志向のジャンルが、がらりと変わったのです。
(だけど私にとって人生を変えたあの村は幻になってしましました・・もう一度行きたいな。。)
その2*何もなくても豊かな島カオハガン島への訪問
たった一度だけしかしてないバックパッカー旅で完全に東南アジアに魅了されてしまった私。
学校法人に就職し、年末年始は冬休みがやってくるということで次は東南アジアのどこに行こうかずーっと考えていました。
そんな時に大学時代のラクロスで知り合った友人が、め~~~~~~~ちゃくちゃ綺麗な海の写真をアップしていて「これどこ!?!?」と聞くと、
「フィリピンのカオハガン島ってとこだよ!」
と。
即検索するよね。すると、出てくるワードは
「何もなくても豊かな島」
なんそれ!!!!!
どうやらこの島は、1人の日本人男性が島を購入し住んでいるとのこと。本が出版されていたので購入しすべて読んでみると
「見てみたい、この島」
この気持ちがあふれてしまい、初のフィリピン渡航決定。
2013年12月23日にフィリピン入り。
せっかくだからと最初はセブに降り立ちノープランで巡るが、思ってた以上に都会で、天気も悪いし、ぼったくりばっかりやし・・
さらにはクリスマス。クリスチャンだらけのこの国、クリスマスは全てお休み!!!!
レストランもお休みで、唯一入ってスーパーも閉店・・ぎりぎりゲットできたのが、このくっっっそまずいケーキ。笑
何日間か廻ろうとしたものの結局疲れちゃって、はやめに島入りすることに変更。
この変更は本当に正しかった!!!!!!!
夜の移動だったのですが島まで島民がピックアップに来てくれ、暗闇のなか小さなボートでゆらりゆらりと。
その日は夜の到着だったので、電気もないこの島なのですぐにロッジで休むことに。
波の音に慣れなくて、何度も目が覚め、やっと寝落ちする・・ってときににわとりがなきはじめ、気付けば朝6時。
人の声も聞こえ始め、目を覚ましてみると・・
なんだこの透き通る景色。
景色に感動しました。
そして、そこから1週間の島での生活が始まりましたが、電気もガスも水もないカオハガン島。
島をぐるっと1週するのも普通に歩けば20分くらいで回れる小さな島で、
毎日毎日そこに暮らす300人ほどの島民たちと近い場所で過ごし、
特別何をするわけでもなく、ただおしゃべりしたり、一緒に駆け回ったり、海に潜ったり・・
これまでに感じたことない「心が満たされてる」という感じを味わうことが出来ました。
そしてそこで、前回の記事にも書いた私に協力隊のきっかけをくれた方とも出逢い、他にも同じ旅行客の人たちやスタッフからすごく刺激を受けました。
しかし、日本に戻ったら、なんだか魔法がとけたようにあの「満たされていた」感情がなくなってしまって・・
「かつて人が自給自足のような暮らしで生きていた地に近い"何もない環境"で長期間暮らしたら、一人の人としてもっと豊かになれるんじゃないのか」
そう思うようになっていました。
③なぜワーホリでも留学でも就職でもなく、青年海外協力隊のボランティア?
「便利なものがない地で暮らす人たちと同じ暮らしをしてみて、近い目線でその地の生活を見て体験してどんなことを感じるのか知りたい。」
◆ワーホリ→発展途上国はない
◆留学→英語喋れるようになりたいけど学校に通うことがメインでない
◆就職→村に求人がないことと就職するにしては英語力が不足している
これらを相談しながら考えた上で、ボランティアでした。
青年海外協力隊はJICAという大母体というもあり、JICAを上手く利用すれば国を通しての活動ができるため、情報が得やすかったり、自分の活動が国の発展に直結しやすいなと思いました★
あとは、僻地への派遣を希望していたことや(実際のところはギャップがあったので次回書きます。)、他の団体のボランティアに比べ金銭面のサポートと、語学研修がしっかりしてるのはでかかったかなー。なんせ、英語しっちゃかちゃなもんで。笑
④ボランティア経験なくてもボランティアはできるのか
私の考えでは、 「できる」と思います。
最初に言った通り、私は今の活動に直結するボランティアはしたことがありません。
大学時代、スタディツアーという「ボランティア×旅行」みたいなのも見てたけど、正直
「短期的なボランティアなんて偽善で終わるし、自己満だ。」
そう思ってました。(大学時代スタツアやボランティアに頑張っていた人、ごめんなさい。)
それもあって、スタディツアーは参加しようと思いませんでした。
(それに同じ東南アジア旅なのに倍くらい値段して払えなかったってのが一番でかい。笑)
けど、今こうやってこれまでの日本で培った人生経験を生かして活動始められてます。
不便な生活も、整ってない教育環境も前向きに味わって歩み寄ることで、少なくとも「自分のためのボランティア」はできているなと。
自分のためって・・それでいいのか?
それについても次号お伝えしたいなと思います★
【ゆきちの協力隊人生道シリーズ更新予定一覧】
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2.なぜ教員を辞めようと思ったのか (2017/5/22 更新済み)
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3.退職後協力隊が決まるまでは何してた?(2017/5/28更新済み)
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4.これまでの海外経験やボランティア経験は?(本記事)
5.実際協力隊に来てみての感想は?
6.帰国後の進路はどうしたいか?
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:)★活動83日目 ゆきち、ザンビアに卒業式がない事を知ってショックを受ける。の巻
Mulibuwanji?お元気ですか?
ザンビアのムオンバ初等学校で情報処理の授業支援をしています、青年海外協力隊PCインストラクターのゆきちです★
今日、同僚マカワ先生となにげなーく話をしていて、衝撃を受けたことがあり、眠いながらもblogをつづっております。
なんと・・ザンビアの教育課程には
卒業式がないという事実が発覚!!!!!!!
🌼今日のおはなし🌼
※今日はかなり主観入ってしまった記事のため、すべての生徒先生がこうであるとは限りません。ご了承ください。
①事実を知った経緯
そう、あれは今日の授業も終わり、教室の整理をしながら雑談をしていたときのこと。
話が今後の流れになっていきました。
私「」 / 同僚マカワ先生(以下:マ) 『』
私「今後情報処理を教えれる教員を増やしたいけど、教員育成っていつの時間にすればいいんだろうね~~」
マ「10月の最終試験が終わったら、僕たちには3ヶ月も時間があるから、そこでたくさん教える時間があるよ!』
ん???
2ヶ月も時間がある??
ザンビアのtermは確か、
term1:1~4月
term2:5~8月
term3:9~12月
となっていたはず。。
「なんで2ヶ月も時間があるの?Term3は9~12月でしょ?」
『Madam.Yuki(ザンビアは女性にMsやMrsでなくMadamと付けます)・・それはGrade7までの話なんだよ!』
!!!!!!
な~~~~んだって!!!!!!!!
私「え!!!じゃあ、 試験終わって何するの?」
マ『何ってなにもしないよー!家で待機するんだ。それで合格すれば1月からsecondaryに進学できるし、不合格なら留年決定だね~。3ヶ月もあくとすっかり知識はなくなっちゃうし、ICTなんて9年生でしかしないから忘れちゃうんだよ。ザンビアの教育システムはビックプロブレムだよね~あはは~』
ええええええええええ!
待って待って~~~~~~!
せっかく勉強したのに、4ヶ月も何もしないとか、すべて忘れるやん!!!
本当、同僚の言うようにビックプロブレムやわ!!!
しかもPCでいえば、せっかく頑張ってつけたスキルなのに、もう授業受けることないけん、人生で最後かもしれんのやん!!
ってことは最終試験のために9ヶ月練習したのは本当に試験勉強のためだけであって・・まじで無駄やん!!!
私「え!え!(☜英語でも相変わらず口癖の「え」連発。) なら、卒業式とかいつやるの?」
マ『Madam.Yuki、ザンビアの義務教育に卒業式なんてないよ』
えええええええええええええええええ!!
あまりの驚きに同僚爆笑。
②卒業式は日本の文化・・!?
そもそも卒業式って・・と思い検索してみました。
卒業式(そつぎょうしき)は、教育課程を全て修了したことを認定し、そのお祝いをする式典である。特に日本では、学校教育法施行規則によって定められた学校行事となっている。欧米でも大学の学位授与の式典はあるが、各学校の修了ごとに祝う式典は日本と韓国でのみ見られる習慣である。
ええええええ!
知らんやった~~~~~~~!!!
日本独特の文化なんかー!!!!!!!
確かに、フィリピンの友達に、去年卒業式や卒業アルバムの感動話をしたら「ふーん」って感じやったし、
ザンビアに来ても、卒業式の写真を見せたら
『ふーん、このみんなが来てる服はなんなの?(はかま)』
と、教員のくせにどんなクラスやったのかーとか卒業式どんな感じなのか―とか喰いつかないなとは思ってたのよ・・
私は2年目、卒業式担当をしていたのですが、先輩にこう言われました。
『あなたの卒業式の仕事が上手くできるかできないかによって、生徒も先生も「この学校でよかった」と思うか、思わないかが決まるからね。』
とかなり強いプレッシャーを頂いたほど、最大行事だと感じていました。
そして、卒業式は式典ということで
*厳粛に
*スムーズに
執り行うことで、良い卒業式ができると言われていました。
(これは一概に良いとは思いません。私自身もっとオリジナリティある式したいと当初思っていたし、いろんな卒業式があっていいと正直思いますが、私の前職の職場では一般的な式典を求められていました。)
確かに、その学校の生徒指導の集大成が見えるのが卒業式な気がします。
私も当時、感動の空間を作るために、職員会議では卒業証書のもらい方についてや、司会台本の文章を一言一句確認したり、壇上の椅子の配置や装飾、BGMの音量音質など・・もちろんその分予算も大きく降りていました。
さらには生徒に対しても、厳粛に臨むために生徒指導や、生徒の歌練習、送辞答辞の特訓など力を入れました。
実際、自分が生徒のときって、こんなに力入れられるものとか、厳粛なものって実感なくて、教員側になって大切さがわかりました。
(あ、厳粛厳粛言ってる割に、さっきのクラス写真パリピみたいなポーズの写真ですみません。うちのクラスのポーズだったんです。。笑)
③それぞれの卒業式に対する想い
*保護者にとっての卒業式
まず、保護者が自分の子どもの成長を感じられるときだと思うんです。
自分が大学生のとき卒業式に出なかったけど、母親は晴れ舞台を見れなかったのを後悔しているとのこと。
私的には「仕事やからしゃあないやん!」って思ってましたが、
教員をしてみて、保護者との関わりや、式典に参加して下さった保護者様の姿を見た時に、たった2時間の式典のために遠方から来てくださったり、式典中は涙したりと、「ああ、この自分の大切なわが子の節目を目に焼き付けるって親として大切なことなんだな」と感じました。(ってなわけで大学の卒業式出られなかったこと、少し後悔。)
*生徒にとっての卒業式
私、幼稚園は覚えていませんが、小学校から高校まですべての卒業式で号泣しています。
涙もろいんですよ、私。
けど、もうここに来ないんだーとか、もうこのメンバーで授業受けることないんだーとか、それまで大して授業受けてなかったくせに、寂しい想いが爆発するんですよね。
大学は残念ながら新卒入社した学校の業務が忙しすぎて夜のパーティーにしか参加できませんでしたが、つい3か月前にあった青年海外協力隊修了式では、大号泣でしたね、いい大人が。はい。
そして、寂しさだけでなく、卒業式があることで
「次のステージに進むんだ!!!!」
という心の切り替えにもなっていたような気がします。
*先生にとっての卒業式
『教員の仕事って364日辛い事や大変なことだらけなんだけど、卒業式のたった1日があることで、「教員やっててよかったな」って今までの苦労も報われるんだよ。』
教員の決まり文句かのように言われ、そして言ってきた言葉。
本当にそうなんです!!!!!!!!!!
私は1度しか卒業生を出していませんが、例え卒業担任じゃなくても、
「手を焼いたあの子がこれから社会に出ていくのか~」
「授業抜け出して叱ったあと、お詫びにってぺちゃんこのチーズバーガー持ってきたな~」
「〇〇先生、ずっとクラスよくするために試行錯誤してたよな~」
とか、第三者目線で見つつ、これまでの背景を思い出して・・これまた号泣!!!
だからですよ、
自クラスの卒業式なんて、もうね、この世の終わりかのように泣きましたよ。ええ。
(卒業証書授与でクラスの学生の名前を呼ぶ時、1人目からあまりにも私が泣いたもんやから次年度の教員振り返りで「教員は卒業式典中泣かずにきちんと名前読み上げる」と反省に上がったのはここだけの話。・・すみませんでした。笑)
どんなに嫌われてても、どんなに反抗されても、あきらめずに向き合うことで、伝わるのかもしれません。
やから生徒も、もう最後、もう会えないというあの雰囲気から感極まるものもあり、
「ありがとうございました」
「先生が担任でよかった」
この言葉を生徒は言ってくれるんですよ。
もう、パワーですよね。本当に。
そして、多くの先生はこう思うと思うんです
「この子たちの先生になれてよかった。」
私は正直、最初は先生じゃない道を選ぶために仕事を辞めることを決めましたが、卒業式の日にこの言葉を聞いて、
「やっぱり、先生やっててよかったな。」
って、そう思って、、今また先生をやっちゃってるんですよね。笑
すべての自分の教えが、生徒たちにとってすべてプラスになったかもわからないけれども、一生懸命生徒に向き合えば、その生徒に影響することは少なからずあるもので、それを感じた時に、「次の生徒に対しても頑張ろう!」って自分の励みに思う人が多い気がします。
④もしザンビアの学校で卒業式をしたら
・・・ 一体、どうなるんやろう。(笑)
日本の教育現場は文科省に管轄のもと運営されてますが、文科省で定められている学習指導要領(学習指導要領とは)にはこうあります。
望ましい集団活動を通して,心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図り,集団の一員としてよりよい生活や人間関係を築こうとする自主的,実践的な態度を育てるとともに,自己の生き方についての考えを深め,自己を生かす能力を養う。(学習指導要領「生きる力」より引用)
学校教育において、集団生活の力を養うことは必要不可欠なので、学校行事や特別授業、修学旅行などあります。
ザンビアは日本と違い、勉強だけでなく集団生活の力を得る場所として学校があるわけではないので、学校行事もなければ、クラスで何かを取り組むということはありません。
だから、生徒たちも日本のように「〇クラ最強」とか「我ら〇〇組(☜担任の名前引用)」なーんてプリクラとかノートの表紙とかスクールバックに落書きに書いちゃうほどクラスに対する愛着とか想いとかあんまりないんだろうな~と。(あ、ジェネレーションギャップ混じった?笑)
だけど、日本以上に厳しい進級試験を受け合格し進級していくのだから、その努力を讃える場があってもいいんじゃないのかなーと個人的に思ったりします。
そしたら生徒にとってももっと、学校に対しての想い強くなったりしないかなー。
そして、今回の事実を知ったときに一番に思ったのは、
ザンビアの先生たちは、
いつ何をきっかけにやりがいを感じ、
何をモチベーションに頑張ってるんだろう。
安定した職だから?
周囲に尊敬されるから?
なんか、それって勿体ない気がするなーと。
せっかく"先生"って人の成長とか、人生のきっかけに影響を与えることのできる存在なのに、ただただロボットのようにこなすのって・・生徒にもその先生にもプラスにならないなと感じてみたり。。
だけど、ここはザンビア。
職を得ることだけでも一苦労です。
そして、学校自体に「成長の場」という概念がないので、しょうがないのかなー。。
ただ、思うのが、きっと日本の教育も昔はそうだったはず。
あーでもない、こーでもないと教育を見直し、トライしと繰り返したことで、「成長する場」という概念ができたはず。
(ただ日本の教育現場はサービス業界化していることは一概によいものではないけどね。)
日本の教育、どういう風に変わっていったのか、気になるな。
調べてみたら、何かヒントがあるかも・・?
え、てか、そういえば先生たち最初の会議でめっちゃいい事言ってたやん!!!
▼過去記事 職員会議「良いクラスに必要なこと」▼
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もし、ザンビアの学校で卒業式をしたら
生徒にとっても、先生にとっても、人生の先に繋がるような、忘れられないような、そんな時間になったらいいなー。
「卒業式は、新しい挑戦へのスタートの日だからね。」
すっげー立派なこと言った日から、はやくも1年3か月。
教え子たちはがんばってるかなー。
長くなりましたが、そんなことを思った1日でした。
完全に私の主観で書いた記事で申し訳ありません。m(_ _)m
ちなみにここまで言っておいてなんですが、
ザンビアで卒業式やってる説あればぜひ教えてください!\(^o^)/笑
せっかく教えた子とあっさりお別れが何よりも嫌なんですけど!!!!笑
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ところで、これ、めっちゃ似てない?笑