:)★ゆきちせんせーの教育論?笑
Mwapona buti? お元気ですか?
ザンビアにてPCインストラクターとして活動中の、ゆきちです(^^)
毎回見てくれてる人は出だしの変化に気が付きましたか?
実は今までの挨拶は、ニャンジャ語だったのですが、今日はトンガ語にしてみました★
実は私の村、少数言語レンジェ語という言語を話していて、トンガ語とニャンジャ語がミックスされた言葉なのです。
しかも、若干トンガ寄りのため、小学校の科目には【Chitonga】(トンガ語)という日本でいう国語的な授業があります。。笑
JICAの研修では首都に近いことから、首都で一番使われている「ニャンジャ語」を勉強したのですが、実際村に来てみたらニャンジャは通じるものの、トンガ語に近いレンジェ語ということが判明。笑
ってなわけで、今両方を学び中で頭がパンクしそうな今日この頃です。
ところで、今週は授業のアイディアでいい事も悪い事もあったので、たくさん残しておきたいとおもっています!
・・が、そもそもの自己紹介も中途半端なので、今日はまず以前の職についてと、私の教育に対する考え方についてをお話しします。
(・・というと大したことないくせに立派すぎるけど。笑)
今後、授業案とか読むときに、「こういう考え方でやってるんだな~」ってイメージしやすいかと思いますので(^^)
では早速。
①どんな組織で働いていたの?
以前私が働いていたのは、グループ会社の中の私立学校法人でした。
学校法人の他に、「人材会社」「ダイビング事業」「保育事業」などなど・・教育を中心に事業展開している会社でした。
そのため、全国主要都市に系列の専門学校や高校、東京に大学、神奈川に短大を持つ私立のなかではかなり大きな組織でした。
私は2013年大学卒業と同時に新卒で総合職として入社しました。
多くの地域、学校があるので、総合職は、役職者ならびに人材開発部(人事部のようなもの)によって配属先が決められます。
実際はどうやって配属を決めているかは正直わかりませんが、総合職の同期や先輩の入社したての配属地を見る限り、本人の希望や、スキルなどはあまり見られず、それより人柄的なもので決められていた気がします。
(超スポーツ系でやってきた人が医療校の配属だったり、全くスポーツなんてしたことありませんみたいな人がスポーツ校の配属だったり。もちろんマッチした人もいます!)
私もそのうちの一人で、実は私大学でウェディングについての卒論を書いたのもあり、ウェディング企業の内定を蹴ってこの会社を選んだので、強くウェディング校を希望したのですが、まさかの「保育士養成校」でした。
(この時子ども苦手だったし、子どもっぽさより大人っぽさに憧れていたので正直へこんだ。笑)
(この時子ども苦手だったし、子どもっぽさより大人っぽさに憧れていたので正直へこんだ。笑)
総合職は、教務力の向上も大切ですが、ゆくゆくは役職者として学校経営に携わっていく存在のため、会社からすれば総合職に求めるものは「経営力」。
なので、役職者になるためにも「組織を整えたり、メンバーを回す力」を将来に向けて成長してもらいたいのだと思います。
ということで、当時新卒配属をしていなかった私のウェディング配属案はあっさりと却下されました。笑
だけど、「ウェディング校」を経験したのち「新規事業の立ち上げ」をいずれしたいと言っていたので、その気持ちは汲み取ってもらえたのか、福岡に新たな保育士養成校学校が立ち上がるという話で、私は新規校の配属という理由から以前の職場になりました。
今では、心からこの配属でよかった!!!!そう思ってます。
(入社前描いていた将来像とは変わりすぎていますが。笑)
②どんな仕事をしていたの?
保育士養成校では一体どんな仕事をしていたのかというと、、、
学校経営全部です。笑
さらには、魅力ある学校にするために、「進路支援(就職)」にも力を入れます。
入口から出口まで面倒見るのが私立学校法人ですが、多くの学校法人は就職課・教務課・講師と分業制をとっているなか、以前の職場は、総合職は入口から出口まで全ての業務を全員が持っていました。笑
そんな幅広く仕事をしていた中で、私の今回協力隊に一番役立たせることができているのは、「授業」の経験でした。(総合職のくせにね。笑)
③情報処理教員
私は、独学ではありますが「PC資格を取得していた」のと、私のスキルがその学校の情報処理カリキュラムとあっていたので「情報処理」の授業を担当させてもらいました。
「保育士養成校なのに情報処理は必要なのか?」
保育士養成校での勤務だったので、私の教える対象は「保育士」「幼稚園教諭」を目指す学生たち。正直・・PC知識やスキルがなくてもやっていけると言えばやっていける業界です。
でも彼ら彼女らは、保育士資格という「国家資格」を手にしなければ働けないので、情報処理の単位は必須でした。
最初は、「現場で使う"おたより"や"掲示物"の作り方さえ教えればいいじゃないか!」と思っていましたが、学生からすれば国家資格を取ることが第一優先です。定められてることは仕方ありません。
ただ、だからといって、国家資格に必要な理論をそのままだらだらと説明することも、検定問題をただひたすら解かすことは簡単です。 (姉妹校ではそういう教務をしている人が多数でした。)
でも、正直「意味ないな」と感じた私は、その環境下のなかで、どれだけ学生が「楽しい!」「身になる!」と感じれる授業をできるかどうかが、教員としての仕事だろうなと思っています。だって、もし単純に問題解くだけなら1人でもできるしね。
そのため、いろんな授業案を考えながら行っていました。
「どんな授業をしていたの?」
・・ですが、パソコン検定の問題を見てみると、保育者向けではないため問題に出てくるのは「株価相対グラフ」や「ビジネス文書」など、正直私が保育士を目指す学生であれば、全くと言っていいほど興味の沸かない問題でした。笑
そこで、私が行った授業方法としては、検定のスキルを身につけさせればいいのだから、
②検定と同レベルのスキルで作れる「クラスだより」を私が事前に作り真似させる
→現場で作らないといけないおたよりの構成を学ぶと同時に、検定のスキルがいつの間にか身につくように!
→現場で作らないといけないおたよりの構成を学ぶと同時に、検定のスキルがいつの間にか身につくように!
③1年間の思い出をクラスだより風に各自作成。ただし、指定のフォント、色、罫線挿入あり。
→検定で使う設定方法はもちろん、何も指示がなくても自分で文章を考え、デザインを構成できるようになる★
→検定で使う設定方法はもちろん、何も指示がなくても自分で文章を考え、デザインを構成できるようになる★
こういったことを検定まで行っていました。
すると学生は、現場に沿った内容だとモチベーションもあがるので、検定対策だけの授業の時より楽しく学べてるように感じました★
(授業アンケート、責任者の授業見学後の感想からした結果なのでざっくりした感触ですが・・!)
また、検定対策の過去問も後半解かせると、問題は一見難しそうなのに、いざ解いてみると「なんだ!あの時やったのと一緒じゃん」と簡単に感じるのです★
実際に現場で役に立っているのか・・それはどうかわかりませんが、
学んでいる時に「意味がある」と思いながら授業受けるのと「何やってんだろ」って気持ちで授業受けるのとでは、スキルの飲み込みも違うかなって思っています。
実際、私のわずかなPCスキルも、大学で部活の勧誘のポスターやビラを作ったり、送別会のムービーを作ったりなど、何も勉強しなくても実践でいつの間にか学んだ記憶があります。
どんだけ、教員が細かな知識を教えても、結局本人にとっての「成功体験」を感じることができなければ、何も実に結びつかないなあと感じました。
④「先生」として大切なこと
先生は、授業内容を考えることで生徒のハードルを調節してあげて、結果を出させる仕組みを作り、それを褒めることで生徒の成功体験となり、生徒に「自信」が生まれるのです。自信がつくと次それをするときには億劫になりません。
だからこそ、生徒の持つ自信をたくさんにしてあげるのが、先生のお仕事かなーなんて思ってます。
⑤「生徒を好きでいること」の大切さ。
こんな偉そうなこと言っていますが、実は私教員時代ある時本気で怒られ、こう問われました。
「あなたは、もし今、自分のクラスを突然他の先生が持ちますってなったら嫌って思えますか?」
ナイフが胸に突き刺さった感触で、本当に忘れられません。
でも、それは図星そして、自分自身も大切だと思ったからだからこそ、胸に突き刺さった感じだったんだと思います。
なぜなら、その時、本当にクラス運営がうまくいかず、必要なときにしかクラスと関わらなかったり、とにかく逃げていました。
「絶対手放したくないって思えるほど学生を愛せないようじゃ生徒が可哀想です。」
こういわれた時、「クラス運営上手くいってるから思えるんやん!」なんて本気で思っていました。
けど、クラス運営がだんだん上手くできるようになっていくと同時に、あの時あの先生が言ったのはそういうことだったんだなと気付くことができました。(プリンセス、心から感謝です。)
それから、私のクラス運営の1つの重要事項として「生徒を大好き!と思えるクラス運営をすること」と入れました。
「生徒嫌だ!」と思った日の授業は、自分のクラス運営に課題があることが多かったです。
反対に「生徒を好き」と思えた日は自分の生徒への関わり方がよかった日でした。
だから、生徒への好きを維持するのは「大変」ながらも先生として「大切」だなと思います。
ただ、、、、先生も人です。
「この生徒嫌だ!」と思う人がいるのもしょうがないことです。
だって、人間だもの。byゆきを。←だれ。
だからこそ、よく先生をするうえで「先生演じることが大切」なんて言われますが、本当にそうだなと思います。
生徒に嘘を付けというわけでなく、たとえどんな感情を持っても、「先生」という役を演じている時には、どんな人でも「先生」と「生徒」という関係にいる時には、平等にそして真剣に対応するべきかなと思っています。
ただ、「先生と生徒」という関係上で「生徒のことを好き」と常に思うことは絶対条件ですが、どうしても人間的に合う合わないは誰でもあるので正直「人として好き」という感情は持たなくてもいいのかなと思います。
(でないと、もし人として好きになれとか言ったら、好きになれない生徒がでてきたときに先生が人として多分崩れちゃうし、実際教育現場の先生の精神疾患で多いのはこういうのが理由だったりします。)
そのスイッチのオンオフを上手くできる人は、先生の仕事をするのがうまいと思います。良い先生かは別として。
(ちなみに私は、すべて感情移入するタイプで、全て真っ向勝負だったので、メンタルコントロールをすることがそれはそれは大変で、多くの人に支えてもらっていました。。)
今、当時の現場を客観的に見れるようになって考えると「あーしとけばよかったのか」と思えます。
⑥今先生することが苦痛だと思っている人へ
嘘だと思って、生徒を前にした時「先生という仮面をかぶって」下さい。
たったそれだけ。
その代わり、先生という仮面を被った時だけは生徒のことを考え、たっくさんの愛情を与えてみてください。
(先生という仮面を脱いだときは生徒のことを一切考えなくてもいいです。(笑))
(先生という仮面を脱いだときは生徒のことを一切考えなくてもいいです。(笑))
そうすると、スイッチのオンオフができて少し楽になれるはず。
そして、もう一つ忘れがちなのは、先生は、1人じゃ絶対できません。
私はクラス運営は1人きりだと思っていましたが、周りの先生・生徒・保護者を巻き込むようになったらかなり負担が減ったし、何より その生徒にとって良い影響になることが多かったです。
こういう風にいろんな努力したけど、無理で「自分がおかしくなりそう。」そう思うのであれば辞めていいと思います!!!むしろ辞めるべき!
先生にとっても、生徒にとっても何もプラスにならないからね。
本来、客観的に自分を見ることで見え方も変わるはずだし、それでも何も見えなければ、あなたはあなたなりの先生という仕事を精一杯完遂できたということなんだと思います。
「笑ってなんぼ」
私の教育・・そして人生のモットー。
こっちに来てから、授業をしているとき、生徒と関わっているとき、英語喋れなくても、
「笑顔」で生徒の前にいれたのであれば、1日の終わりに「よくがんばった自分!」と自分を褒めてあげることにしています。笑
こうすると、自分に少し余裕ができたように感じるんだよね。
長くなりましたが、私の教育観でした★
あくまでも、「私の個人的な意見」なので!
(最近、他の人にもこんな話をしたので、すぐに立派なことが話せてる感じがしますが、実際はぽんこつ教員です。でも、今胸張って言えるのが、生徒のこと、教え子のこと、大好きです。)
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