:)★ゆきちの協力隊人生道 その②なぜ教員を辞めようと思ったのか

 

 Mulibuwanji? お元気ですか?

 

青年海外協力隊としてザンビアにPCインストラクターで派遣されています、ゆきちです。^^

 

 

さて今回は、

 

【ゆきちの協力隊人生道シリーズ更新予定一覧】

1.協力隊を目指した理由(2017/5/21更新済)

3.退職後協力隊が決まるまでは何してた?

4.これまでの海外経験やボランティア経験は?

5.実際協力隊に来てみての感想は?

6.帰国後の進路はどうしたいか?

 

 

2番を熱くあつ~~~~く語っちゃいたいと思います♡笑

 

 

 

シリーズ化第二弾・・ 

2.そもそも、なぜ教員を辞めることにしたのか。 

~私色の教育ができていなかったこと~

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教員生活3年目を迎えたころにこう感じたのが大きなきっかけです。

 

私の理想の教員像と、実際にやってる教員スタイルが見事に真逆で。。。

 

もちろん学校から求められている「出席状況」「クラスマネジメント」などの教務、「生徒募集」などの広報業務、「就職率」「就職先開拓」などの就職支援業務・・

 

どれも2年目を終えた時に、先輩の見様見真似ではありますが1年目よりも確実に数字として成果が見えたり、仕事がやりやすくなっていました。

 

だけど、学校から求められている教育や仕事をしているからといって、自分自身のしたい教育(そして仕事)はできてるのか?と問われると、自信を持って「はい」とは言えず・・

 

広報を通して高校生の人生を導き、

教務を通して学生の人生を導き、

自分の教えた子たちを保育業界に就職させることで保育業界の人生を導いていく。

 

・・そんな人の人生を変える立場にいる私は、

 

学校としての考えと自分としての考えが葛藤するときに悩むことがありました。

 

「仕事だからそんなもの」と割り切るのも大切だと思いますが、私は相手がたとえ生徒であれ同僚であれビジネスの対象であれ、誰に対しても偽りで関わりたくない「ありのままで関わっていきたいなという考えがあります。

 

だからこそ、3年目の教務は2年間の教務に比べて肩の荷を落として自分のありのままをさらけ出すことを意識していました。

 

これまでの人生経験から学んだことや、

何事も器用にできなくて常にもがいてきた自分の人生、

旅で気付いたことなど、

 

3年目はそういう話を色んな生徒にたくさんしてきました。

 

「これって私の口からしか話せない、~私色の教育~かも。」

 

そうすると、教務が楽しくなってきて。。

 

 

 

・・が、しかし、教務の中で、とある事件が起き、、、

それをきっかけに気付かされたのが

 

自分の「視野の狭さ」「心の狭さ」でした。

 

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~人としての視野と心の狭さ~

私は、教員という立場から学生の不足している部分ばかりを見ていました。

 

そして、それを補うために必死でアドバイスを考えては、すぐに指摘をしていました。

 

実際、自分のこれまで関わってきた教員から褒められることってあんまりなくって、(そんだけやらかしてきたからということもあるけど)そういうもんだから、自分のなかで自然とそれが教員スタイルだと思っていました。

 

もちろん、教員という立場で指摘する気持ちは大切です。

 

ただ、教員が良いところを褒め伸ばしながら気付かせていくという教育の考え方はあまりありませんでした。

 

そんな私が気付けたのも、同じ学校で働く先生方のおかげでした。元保育業界で働かれてた先生方が多いこの職場、たくさんの子どもを褒めてきたこともあり、人に対して「ポジティブ」な面に気付ける先生が多かったのです。

 

そのため教務も、どちらかと言えば「良いところを伸ばす」教務をする人が多く感じました。

 

しかも素敵なのがそれを自然にできちゃうこと。

 

良いところを伸ばす教育って簡単そうで、甘やかす教育と紙一重な部分があり、難しい。

 

そして、「学校教育」はチーム教育だと私は思うので全員が全員いつでも褒めるのが良いわけでもないので、

 

★指導のタイミング(その場ですぐ指導がいいのか、それとも保護者へ報告後がいいのかとか)、

 

★指導する立場(その子にとって担任からの指導が効果的か、それとも第三者である関わってない先生からがいいのか..とか)、

 

すごーく難しいのですが・・

 

前職の先生方は、その相手の個性や良いところをしっかり認めた上で一人ひとりに指導をしていました。

 

(日ごろからちっちゃな事からよく褒めてる!)

 

それによって、学生は自信を付け、先生を信頼し、自ら進んで成長していく姿が見え本当に驚きました。

 

 

私の教育はというと、私の中での一定基準に達してない学生に対しては、その基準に達するまでなかなか自分の中で「良し」と出ず、少しできるようになったとしても基準に達するまで指摘ばかりしていました。

 

そういつ指摘をバネにして頑張れる子もいるのですが、なかには自信を無くし、もっと開けるはずの可能性がしぼんでしまう。

 

私はそういう子に行き渡る教育ができていませんでした。

 

「じゃあ4年目の教育から褒めまくればよかったじゃないか」

 

という話になりますが、私はさっきも述べたように「ありのままの姿で関わりたい」気持ちがあって、そうなると「褒めるべき」と分かっていても、自分の中で許せない心を持っているのは正直な気持ちで・・

 

そうなると、まず私自身変わる必要があるから私はまだ教壇に立つべきじゃないなと感じたので、修行がてら(笑)一旦その教育現場を変えることを決めました。

 

~私色の教育~をできるようになる」

「視野を広げる」

 

これらのために、次何をしようかなーと考えているときに常にワクワクしていたいなーと...

 

そこで思いついたのが、

 

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「新しい環境で今までしたことのない経験をしてるときが一番ワクワクする!」

 

 

 

 

なら次に、どこでしようって思ったときに

 

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「自分の価値観を大きく変えてくれた途上国だ」

「自然とイキイキとした姿になれる途上国だ」

 

 

 

って思い付いたんです。

 

そこから、

 

 

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「最低限のものしかない暮らしをする途上国で、現地の人と共に働き、共に生活してみたい。」

 

と思い、これが前回の記事で述べた、私のなかで一番協力隊とマッチしたことです。

 

 

かつては、自分の教務を気付かされた出来事が起きたときに正直「絶対教員なんてもうしない」と言ってたのに、

 

時間が経つと「もっとあの学生に可能性を広げれたんじゃないのか」という自分の教務に対しての後悔がありました。

 

その学生は、可能性がしぼむ前に反発してくれたおかげで、まあ大変だったもののその子の人生も、私の人生にもプラスになった気がしました。

 

今思えばですけどね。笑

 感謝ですね。

 

かなーり長くなってしまいましたが、今日はこの辺で。

 

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【ゆきちの協力隊人生道シリーズ更新予定一覧】

1.協力隊を目指した理由 (2017/5/20更新済み)

yukichijpn-zmb.hatenadiary.com

2.なぜ教員を辞めようと思ったのか (2017/5/22 本記事)

3.退職後協力隊が決まるまでは何してた?

4.これまでの海外経験やボランティア経験は?

5.実際協力隊に来てみての感想は?

6.帰国後の進路はどうしたいか?

 

 

 

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