:)★ゆきちの協力隊人生道 その④これまでの海外経験やボランティア経験は?
Mulibuwanji? お元気ですか?
青年海外協力隊としてザンビアにPCインストラクターで派遣されています、ゆきちです。^^
さて今回は、
【ゆきちの協力隊人生道シリーズ更新予定一覧】
1.協力隊を目指した理由(2017/5/21更新済)
2.なぜ教員をやめようと思ったのか (2017/5/22更新済)
3.退職後協力隊が決まるまでは何してた? (2017/5/28更新済)
(以下次回以降トピック)
5.実際協力隊に来てみての感想は?
6.帰国後の進路はどうしたいか?
をお届けしたいと思います!
4.これまでの海外経験やボランティア経験は?
実は私・・
海外ボランティア経験は今回が初めてです!!
スタディツアーとかも参加したことないし・・本当に旅行だけでした。
しかも、日本でやったボランティアも、大学時代に週に1度中学校の不登校の子たちが集まるクラスのサポートに入ってたくらいだし。。。
そんな私が、なぜ2年間も海外で、しかも発展途上国で、そしてボランティアとして行くことを決めたのかお話ししたいと思います。
①私の海外渡航歴
実は私1人っ子でして、兄弟がいないということもあり、幼いころから海外に連れていってもらってました。(感謝)
【海外渡航歴 一覧】
1997年 韓国/ソウル 1回目(家族)
1998年 韓国/ソウル 2回目(家族)
1999年 ハワイ/マウイ島&ホノルル(家族)
2001年 オーストラリア/パース(家族)
2003年 ハワイ/ホノルル(家族)
2006年 中国/上海(大分県の交換交流)
2006年 ニュージーランド(修学旅行)
2009年 アメリカ/LA(家族)
2012年 ベトナム/ホーチミン→カンボジア/プノンペン&シェムリアップ→タイ/バンコク&アユタヤ(友人2人とバックパッカー旅)←人生ががらりと変わったきっかけ
2013年 フィリピン/カオハガン島 1回目(1人旅)←さらに人生を変えるきっかけ
2014年 グアム(友人2人旅)
2015年 フィリピン/カオハガン島 2回目(1人旅)←とどめをさした3度目
2016年 カンボジア/シアヌーク (1人旅&友人隊員訪問)
2016年 フィリピン/セブ&その他 (留学)
2016年 インドネシア/スマラン&カリムンジャワ島 (1人旅&友人隊員訪問)
2016年 フィリピン/9ヶ所周遊 (1人旅&現地友人宅訪問)
おお・・こうやって一覧にすると本当に行ってるな~~
そのおかげで海外は元々好きでした。
ぶれっぶれのアメリカ サンタモニカ(笑)
母親にも昔、
「日本で暮らして行けなくなったら海外に留学でも行って来たら?英語も身につくし。(←安易)」
なーんて言われてたので、いつか行けたらいいなーなんて思ってはいました。
本当は大学生活で海外行きたかったのですが、大学生活は体育会(ラクロス部)に所属していたのでもっぱらグラウンドを駆け回っていたし、これは今しかできないなと思い、テスト休みに行ったアメリカと、大学4年の東南アジアに初めてのバックパッカーしたのが最後でした。
ちなみに、海外こんなに行ってるにもかかわらず、英語ができたのは中学生まで!
(中学のときは英語ほぼ100点か9割取れてたのに、高校赤点しか取ってないよ。笑)
旅行中に必要な質問や簡単な自己紹介がなんとなくできるくらいで、込み入った話などはできません。笑
②自分の海外への価値観を変えた旅
その1*カンボジアの村へ訪問 ~日本人詐欺師に出逢う~
私の大学4年の11月に部活(ラクロス)を引退し、すぐに航空券を取って3週間バックパックを背負って旅に出かけました。
☝すっげー腹立つ顔!笑
それまで、海外と言えば発展国で、お洒落で雑誌に載ってるような都会でにぎやかな場所に行って刺激がもらえるあの感覚が好きでした。
だけど、大学生活中に「バックパッカー」という存在を知り、バックパッカー旅で東南アジアを回る友人のSNS投稿をちょいちょい見かけていて、「発展してない国の何がそんなにいいんだろう?」と思いつつ、気になっていました。
幸運にもヨーロッパ留学歴のある英語がペラペラな友人が「東南アジア行ってみたいんだよね~」と言っていて、調べたら「6万あれば3週間くらい行けるやん!」と知り、思いつきで行くことに!
また、うちの大学にはカンボジアの教育に強く関わりのある教授がいたので(私の学科ではなく保育科にですが。)、
「カンボジアまた行きたい!」という話をよく聞いていました。
なので、「カンボジアは絶対行こう!」と決め、あとは3週間で陸路で回れそうな国にいこうと考えました。
そして、3週間の旅、本当あっという間に過ぎました。
そして終わってみての感想は・・「もう一度行きたい!!!!!」
なんなら、入社前の2月にもう一度行けないか航空券を検索までしていました。
では・・なぜ再訪問をやめたのか。
実は、きっかけとなったカンボジアの村へ行けたのは、シェムリアップで出逢った日本人男性のおかげだったのですが・・
なんとこの人・・日本人観光客を騙す詐欺師だったのです!笑
シェムリアップ怪奇譚 : 怪しい自称日本人ガイド「じいくん」の謎 « シックスサマナ
この時期にシェムリアップに行った人は、知ってるんじゃないかと思います。
しかし私は・・
この詐欺師のおかげで人生変わったんです!爆
(きっとこの詐欺師がこのこと知ったら、ちょっとでも貢献できてよかったーって思うのかな?笑)
それは3週間の東南アジアバックパッカー旅中盤にさしかかってた頃、主要観光地は一通りみて、満足もしていました。
だけど、なんか物足りない・・そう、途上国らしいところを見れていなかったのです。
主要観光地は日本ほどではないけどにぎわってるし、綺麗に整備されてるし、水も電気もガスもあって・・。
だけど、どこも作られた世界な気がして。
国をまたぐときとか、都市につくまでの道中で見える村の風景を見ながら
「あーゆー何もない地で暮らすひとたちは一体どうやって何を思いながら生きてるんだろう。」
って思ったりしていて、もっと村とか学校とか見てみたいなーと思ってたときでした。
「僕の友人の村に連れてってあげるよ!」
私、ナンパとか勧誘とか結構警戒する方なんですが、なんかこの時「根拠のない自信」があったんですよね。笑
そして行った村は・・私が行きたいと思っていた本当に何もない村。
小屋のような家がぽつぽつとあるだけで、電気はなくランプ。簡単な英語も伝わらんカンボジア人が暮らしてて・・
でも、なんだろう、言葉はわかんなくっても伝わってくるそこの人たちの暖かさとか、目の綺麗さに魅了されてしまったのです。
そして、帰りは満天の星空。流れ星や天の川がずーっと見れて、、、今もなお人生で見た夜空のなかで一番綺麗だったなあって思うくらい。
物はないはずなのに、
『豊かだなあ。』
そう感じました。
そんな村が忘れられなくて、「2月入社前にもう一度行きたい!!」と思い、紹介してくれた方(実は詐欺師のひと)と連絡をとりあっていた最中に
「そういえばこの人日本人何度も連れて行ってるっていうし、旅人の中では有名なんかな?」
と、「彼の名前(時空) 日本人」でGoogle先生に尋ねてみると・・
出てくる出てくる悪い評判\(^o^)/
いやーびっくりしたーーー!!!笑
そして、後日その人は逮捕され強制送還される。笑
確かにご飯代はしれっと払わされたけど・・
(ゆーて、日本円やと1500円増しくらい。笑)
私たち、本当なにもされんでよかったよ。笑
でも、そんなこんなで、彼の連れてってくれた村にいったことで、私の海外志向のジャンルが、がらりと変わったのです。
(だけど私にとって人生を変えたあの村は幻になってしましました・・もう一度行きたいな。。)
その2*何もなくても豊かな島カオハガン島への訪問
たった一度だけしかしてないバックパッカー旅で完全に東南アジアに魅了されてしまった私。
学校法人に就職し、年末年始は冬休みがやってくるということで次は東南アジアのどこに行こうかずーっと考えていました。
そんな時に大学時代のラクロスで知り合った友人が、め~~~~~~~ちゃくちゃ綺麗な海の写真をアップしていて「これどこ!?!?」と聞くと、
「フィリピンのカオハガン島ってとこだよ!」
と。
即検索するよね。すると、出てくるワードは
「何もなくても豊かな島」
なんそれ!!!!!
どうやらこの島は、1人の日本人男性が島を購入し住んでいるとのこと。本が出版されていたので購入しすべて読んでみると
「見てみたい、この島」
この気持ちがあふれてしまい、初のフィリピン渡航決定。
2013年12月23日にフィリピン入り。
せっかくだからと最初はセブに降り立ちノープランで巡るが、思ってた以上に都会で、天気も悪いし、ぼったくりばっかりやし・・
さらにはクリスマス。クリスチャンだらけのこの国、クリスマスは全てお休み!!!!
レストランもお休みで、唯一入ってスーパーも閉店・・ぎりぎりゲットできたのが、このくっっっそまずいケーキ。笑
何日間か廻ろうとしたものの結局疲れちゃって、はやめに島入りすることに変更。
この変更は本当に正しかった!!!!!!!
夜の移動だったのですが島まで島民がピックアップに来てくれ、暗闇のなか小さなボートでゆらりゆらりと。
その日は夜の到着だったので、電気もないこの島なのですぐにロッジで休むことに。
波の音に慣れなくて、何度も目が覚め、やっと寝落ちする・・ってときににわとりがなきはじめ、気付けば朝6時。
人の声も聞こえ始め、目を覚ましてみると・・
なんだこの透き通る景色。
景色に感動しました。
そして、そこから1週間の島での生活が始まりましたが、電気もガスも水もないカオハガン島。
島をぐるっと1週するのも普通に歩けば20分くらいで回れる小さな島で、
毎日毎日そこに暮らす300人ほどの島民たちと近い場所で過ごし、
特別何をするわけでもなく、ただおしゃべりしたり、一緒に駆け回ったり、海に潜ったり・・
これまでに感じたことない「心が満たされてる」という感じを味わうことが出来ました。
そしてそこで、前回の記事にも書いた私に協力隊のきっかけをくれた方とも出逢い、他にも同じ旅行客の人たちやスタッフからすごく刺激を受けました。
しかし、日本に戻ったら、なんだか魔法がとけたようにあの「満たされていた」感情がなくなってしまって・・
「かつて人が自給自足のような暮らしで生きていた地に近い"何もない環境"で長期間暮らしたら、一人の人としてもっと豊かになれるんじゃないのか」
そう思うようになっていました。
③なぜワーホリでも留学でも就職でもなく、青年海外協力隊のボランティア?
「便利なものがない地で暮らす人たちと同じ暮らしをしてみて、近い目線でその地の生活を見て体験してどんなことを感じるのか知りたい。」
◆ワーホリ→発展途上国はない
◆留学→英語喋れるようになりたいけど学校に通うことがメインでない
◆就職→村に求人がないことと就職するにしては英語力が不足している
これらを相談しながら考えた上で、ボランティアでした。
青年海外協力隊はJICAという大母体というもあり、JICAを上手く利用すれば国を通しての活動ができるため、情報が得やすかったり、自分の活動が国の発展に直結しやすいなと思いました★
あとは、僻地への派遣を希望していたことや(実際のところはギャップがあったので次回書きます。)、他の団体のボランティアに比べ金銭面のサポートと、語学研修がしっかりしてるのはでかかったかなー。なんせ、英語しっちゃかちゃなもんで。笑
④ボランティア経験なくてもボランティアはできるのか
私の考えでは、 「できる」と思います。
最初に言った通り、私は今の活動に直結するボランティアはしたことがありません。
大学時代、スタディツアーという「ボランティア×旅行」みたいなのも見てたけど、正直
「短期的なボランティアなんて偽善で終わるし、自己満だ。」
そう思ってました。(大学時代スタツアやボランティアに頑張っていた人、ごめんなさい。)
それもあって、スタディツアーは参加しようと思いませんでした。
(それに同じ東南アジア旅なのに倍くらい値段して払えなかったってのが一番でかい。笑)
けど、今こうやってこれまでの日本で培った人生経験を生かして活動始められてます。
不便な生活も、整ってない教育環境も前向きに味わって歩み寄ることで、少なくとも「自分のためのボランティア」はできているなと。
自分のためって・・それでいいのか?
それについても次号お伝えしたいなと思います★
【ゆきちの協力隊人生道シリーズ更新予定一覧】
yukichijpn-zmb.hatenadiary.com
2.なぜ教員を辞めようと思ったのか (2017/5/22 更新済み)
yukichijpn-zmb.hatenadiary.com
3.退職後協力隊が決まるまでは何してた?(2017/5/28更新済み)
yukichijpn-zmb.hatenadiary.com
4.これまでの海外経験やボランティア経験は?(本記事)
5.実際協力隊に来てみての感想は?
6.帰国後の進路はどうしたいか?
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